《MUMEI》 彼女は慌てたように皆の顔を見回して、オロオロとかける言葉を探しているようだった。僕は僕で、この状況が面倒臭いとは思ったものの、それを利用しない手はないと考えた。 上手くこの流れを掴めば、目の前の彼女と仲良くなれるかもしれない。 皆が言う通り、『あわよくば』という気持ちがなかったわけではないのだ。 僕は彼女と向かい合い、わざとらしく居住まいを正して声を改めた。 「宮沢 彰彦です。7階のメンズフロアで働いてます。よろしく」 ハキハキと勝手に自己紹介すると、彼女は一瞬ぽかんとした。周りの皆は僕らの様子を見て大笑いする。 「彼女、困ってるじゃん」 「何か答えてあげなよ」 口々にそう言われたことで、彼女はようやくハッと我に返り、「ど、どーも…松原 祥子です」と顔を赤らめながら早口で答えた。 「1階の化粧品売場に所属してます。えっと…」 そこで口ごもり、隣にいる女に「あと、何を言えば良いの?」と困ったように、そっと耳打ちした。それを聞き逃さなかった僕は、心なしか慌てた。マズイ。このままでは、その隣の女に話がすり変わってしまう。 焦った僕は、少し大きめの声で彼女に言った。 「遅番だったんだってね。偶然、俺もそうだったの。さっきココに着いてね、ちょっと雰囲気に乗り遅れた気分」 僕がまくし立てると、彼女−−祥子はキョトンと素の表情を見せた。いきなり何を言ってるのだろう…。そう、言いたそうな顔をしていた。祥子は視線を泳がし、「そうだったんですね〜…」と気のない言い方をして、黙り込む。完全に引いていた。 しかし、僕は諦めない。 祥子にニッコリと微笑みかけて、「だから」と言葉を続けた。 「他の奴らは放っといて、俺らは俺らで楽しもうよ」 最後に首を傾げながら、「ね、松原チャン♪」とじっと顔を見つめると、彼女は戸惑いながらも、笑顔を浮かべた。 僕の台詞に、周りのひと達が「はぁ〜!?」と非難めいた声を上げる。 「何ソレ?俺達、完全無視?」 「それって、私達は眼中にナイってこと?」 「宮沢サン、ひどーい!祥子、ズルーイ!」 「おいアキ!抜け駆けは許さんぞ!!」 「皆、そんなこと言わずに…ホラホラ、仲良くしましょうよ〜!」 喧しく喚き散らす彼等を、僕はあっさり無視した。大人しく酔っ払いの相手をするほど、ボランティア精神に富んではいない。まともに相手にするだけ時間の無駄だし、それよりも僕には、ヨコシマだがきちんと目的がある。 外野は放って置き、僕は目の前の困惑顔の祥子を見遣る。 そして言った。 「色々知りたいんだよね、松原チャンのこと」 「よろしくね」と僕が言うと、今まで黙ったままだった祥子が、やんわりと僕に、微笑んだ。 それは、眩しく、優しい笑顔で。 僕の心は一瞬にして、引き寄せられた。 今にして思えば、あれが僕の生涯で初めての『一目惚れ』だったのかもしれない。 前へ |次へ |
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