《MUMEI》
特訓開始
布団を片付け、四畳半の部屋で朝食を済ませると、お膳はそのままに二人は向かい合った。
「翔君。自分が上手いと思ったらそこで成長はストップするからね」
「別に過信はしていない。でも自信を持つことは大事だ」
「そうね。自信は大事ね」
ライムは立ち上がると、新聞を持って来てまたすわった。
「新聞の一面を熟読して」
「熟読?」
「つまり飛ばし読み厳禁。ななめ読みは論外」
翔はテレビ欄を見た。ライムは怒った顔で新聞をひっくり返す。
「ボクサーがトレーニング中にふざける?」
「わかったよ」
「無名のボクサーはもっと強くなりたいとハングリーでしょう。無名の作家も同じよ。もっと上手くなりたいと向上心の塊じゃなきゃ」
翔は新聞を真剣に読んだ。
「ライム」
「コーチとお呼び」
「どういう効果があるんだ?」
「新聞の一面というのは、現在の基本形で書かれているわけ。基本をマスターすると強いわよ」
「地球に詳しいな」
「自己流で大成できるほど、芸術の世界は甘くない。基本という土台がしっかりしているから、高い頑丈なビルディングを建設することができる」
ライムの熱い眼差し。翔もボクサーのように本気になった。
「読むだけでトレーニングになるのか?」
「毎日欠かさず読めば、結構身につくと思う」
翔は新聞をひたすら読む。
「それが終わったら、次は書く練習」
ライムはカラーボックスから二三冊本を持って来て、お膳の上に置いた。
「世界的な大文豪の妙技を体得するの。これは読むだけじゃなく書く。文章を書き写していく」
「なるほど」
翔は本を広げると、ノートに書き写していった。読むと書くでは大違いだ。これは身につくと肌で感じた。
「この読み書きを毎朝繰り返すの。たとえば8時から仕事を始めるとしたら、8時までに朝食とトレーニングを済ませる。6時に起きなきゃ間に合わないでしょ」
ライムの速攻に翔はただ感心するばかりだ。
「ストイックだな」
「無名のボクサーなら普通よ」
無名無名と言われてもあまり嬉しくない。翔はベストセラー作家への夢に燃えて、トレーニングに熱が入った。
しばらくすると、ライムが聞く。
「翔君。未発表のオリジナル作品ある?」
「あるけど」
「見せて」
ライムの笑顔に弱い。翔は引き出しからノートを数冊出して渡した。
ライムはノートを読み、翔はトレーニングを続ける。
「いいじゃん。ちょっとエッチだけど」
「そんなのオレにとっては序二段だ」
「これで序二段なら、あたしの身は危ないってこと?」
「安全過ぎてもレディに失礼だ」
「根本的な部分で生き方間違ってるかも」
「ハハハ」
「誉めてないから。喜ばないで」
笑顔で睨むライム。翔も嬉しそうな顔のまま練習を続けた。
ライムが立ち上がる。
「翔君。この作品。売り込んで来る」
「何?」さすがに驚いた。
「あたしに任せて」
二人は真剣な目で見つめ合った。
「わかった。ライムに考えがあるなら、任せるよ」
「ありがとう」
ライムは機敏だ。すぐに玄関へ向かう。
「夕方には帰るわ。途中で電話するかも」
「ライムも気をつけて」
「優しい!」
白い歯を見せると、部屋を飛び出していった。
「……」
翔は一人になっても、気を緩めることなくトレーニングを続行。確かにプロの闘技者を目指していた頃は、毎日がマーシャルアーツだった。
基礎体力トレーニング。ストレッチ。技の訓練。
それは作家も同じではないか。ライムの言う通りだ。翔は感動してきた。
昼食を一人で済ませた翔は、少し休憩。テレビをつけようか迷ったとき、携帯電話が振動した。
「はい」
『あたし』
「ライム?」
『そう。今ね。波形先生の家にいるんだけど』
「波形先生?」
まさか有名な漫画家の…。
「波形先生!」
『そうよ。何とねえ。翔君のノート買いたいって』
「え?」
翔は体が震えた。言葉が出ない。
『もしもし』

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