《MUMEI》 鉄の心臓翔は冷静になろうと努力した。 「ライム。ノートを買うってどういう意味だ?」 『面白いってよ翔君の作品。原案、沢村翔。画、波形先生で読み切り描きたいって』 あり得ない。全国誌に名前が載る。 『もちろんタダじゃないよ。28万円でどうって?』 「28万!」 『少ない?』 「バッ…。金の問題じゃない。いきなりメジャーデビューなんて奇跡じゃないか」 翔は一瞬焦った。まさか魔法を使ったのではないか。 「ライム。詳しい話を聞きたい」 『じゃあすぐ帰るね』 電話は切られた。実力で勝ち取った夢なら嬉しいが。 見る人が見れば。そういう自信はあったが、いきなりコミック化とは。 しかも波形先生ともなれば、トップクラスのベテラン漫画家だ。 心中穏やかではない翔。やがてライムは帰って来た。 「ライム」 「ただいま」 ライムは札束を見せる。 「はい。翔君のよ」 二人はとりあえずお膳の前にすわった。 「ライム。どんな魔法を使ったんだ?」 「翔君の作風を欲しがる漫画家を探していたの。まあ、これは人間には無理だけど、翔君の作品を読んで気に入ったのは事実だから。あなたの実力よ」 「ライム」翔は感激していた。 「やましいことは何一つないから、安心して」 翔はライムの両手を握った。 「ありがとうライム。抱きしめたい」 「ダメよ」 ライムは照れ隠しに手を離す。 「大金が入ったことだし、これは攻めに転じないとね」 「攻め?」 ライムは時計を見た。午後4時。 「15万の大軍を率いて攻めに行くわよ」 「何をする気だ?」 「波形先生が読み切りを発表する。ヒットすれば、当然、沢村翔ってだれだって話になってくる。だからいつでもスタンバイOKの状態にしておきたいの」 翔は自分のことながら興味津々の表情で聞き入る。 「次は例の悪魔を暴く物語をぶつけるから」 「なるほど」 「そのためにも毎日このアパートで缶詰めよ。買い物はあたしがする」 「オレを一歩も外へ出さない気か?」 「作品が完成するまではね。窓開けて外の空気吸うくらいならいいけど」 「嬉しいよ。お礼にライムを監禁したい」 「聞かなかったことにするわ」 ライムが勢い良く立ち上がる。翔も立った。 「で、攻めるって?」 「一つ。決着をつけましょう」 二人は駅前までタクシーを飛ばした。車から降りると、険しい顔の翔が、力なくライムを見つめた。 「ほかに方法はないか、ライム」 「闇金じゃないから大丈夫。行ってきて」 しかし翔はビルを見上げながらためらう。 「奴らはチンピラだ。全額返済したからって、済みそうもない」 「チンピラの格好をしてるだけで、ただの会社員よ。15万で警察沙汰になるようなことはしないわ」 それでも翔は躊躇している。 「奴らなんか怖くない。オレが恐れているのは自分だ。舐めたこと言ったらその場で半殺しの目に遭わしてやる」 ライムは怒らない。翔の手を優しく握った。 「度胸は武器になる。鉄の心臓の持ち主じゃないと作家は無理。文学界は、魑魅魍魎が蠢く芸能界と隣合わせ。そこへ飛び込むんだから」 「ちみもうりょう…」 「獅子になりなさい。ライオンになるの。相手は狐。狐はライオンに喧嘩は売らない」 ライムは励ましの言葉を送り続けた。 「悪鬼が身に入る前に、天使が入ったから。結論を言えば大丈夫なの。今行っても店には天使しかいない」 信じられない。 「翔君。これは映画の撮影よ。あたしが監督。あなたは名優でしょ。ワンカットで決めて一発OKよ。あたしを信じて」 翔の目の色が変わった。ライムも真剣な眼差し。 「スタート!」 ライム監督の声に、翔は力強く足を踏み出し、エレベーターへ。4階で降りると、炎のようなオーラを纏い、ドアを開けて店に入った。 「いらっしゃ…あ、沢村さん」 「どうも」 翔はイスにすわらずに15万円を出して見せた。 男たちが驚く。 「全額返済します」 前へ |次へ |
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