《MUMEI》

誰かを『待つ』ことは、辛い。何よりも。

それを折原は、分かっていない…。

−−鈍感な女…。


僕は、唇の端を吊り上げた。

折原はスッと立ち上がり、僕の傍らに近寄り、腕を絡ませた。艶かしい仕種で僕の顔を上目使いで見つめ、耳元で甘く、囁いた。

「…一緒に、おフロ入ろ?疲れちゃった…」

僕は横目で折原を見遣り、何も答えず、彼女と一緒にアパートの部屋に入った。


記憶の中の、
祥子の、あの美しい笑顔が、

グラリと歪む…。




「…いつ見ても、すっごい数ね」

ベッドに腰掛け、下着を身につけ始めた折原は、ぽつんと呟いた。ベッドの上でまどろんでいた僕は、「何が…?」と低い声で尋ねると、折原は部屋の奥にある飾り棚を指差す。

「アレ、香水でしょ?」

僕はちらっと視線を流した。棚には香水のパッケージが、メンズ・レディース関わらず、所狭しと並んでいた。
それを見つめ、僕は瞬く。

「…祥子の、コレクション」

ボソッと呟くと、折原はゆっくり僕の顔を見た。僕は彼女の顔は見返さず、棚に並ぶ香水の箱を見つめたまま、続けた。

「アイツ、無類の香水好きでさ…ちょっと、病的だよね」



祥子は、自他共に認める香水フリークだった。一回の買い物で、2、3種類の香水を買って帰るのは当たり前で、気が付いたら、棚があんな状態になってしまっていた。

−−おかげで死ぬまでは、香水は間に合うなぁ…下手したら死んでも使い切れないぞ?

僕が、冗談でそう言ってやると、祥子は一瞬キョトンとした顔をして、それから吹き出して笑った。

−−それじゃぁ、私が死んだときは、その香水達も一緒に弔って。


あのときは、馬鹿なこと言ってる、としか思わなかった。だから僕も笑って、「そうしてやるよ」と答えた。

けれど、現実にそうなったとき、僕は、彼女とのその約束を、守らなかった。

この部屋から祥子と、祥子の香水達が消えてしまったら、たくさんの彼女との思い出も、シャボン玉のように儚く消えてしまうような、そんな、気がして。

独りになるのが、怖かったんだ。



折原はベッドから立ち上がり、下着姿で棚まで近寄った。僕は彼女を視線だけで追う。折原は、祥子のコレクションを眺めて、感心したような声を上げた。

「有名ドコロが揃ってるのね…ブルガリ、グッチ、ランバンに…へぇ、ロエベか」

それから、何かを見つけたように「あ!」と彼女は声を出した。

「エタニティだ!」

その香水名に、僕の肩が、揺れる。
エタニティ。
それは、僕と祥子の…。
折原は固まっている僕に気づかず、はしゃいでいた。

「これ、知ってる!!すっごい人気あったよね〜」

折原が香水のボトルを手に取ったのを見て、僕はガバッと起き上がる。

「勝手に触るな!」

僕の大声に、今度は折原が怯んだ。

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