《MUMEI》

驚いた拍子に、彼女の手からエタニティのボトルが滑り落ちる。瓶はゴトン…と重々しい音を立てて、床に転がった。音の割に、瓶は壊れず、無事だったようで、薄明かりに、そのガラス製の本体を美しく輝かせていた。

「ご、ゴメン…」

折原は慌てて床に落ちたボトルに手を伸ばしかけ、そこで触れることを躊躇った。僕が「触るな」と怒鳴ったからだろう。どうしていいのか、分からないという表情を浮かべた。

僕は深いため息をつく。

「いや…俺も、悪かった。怒鳴ること、ないのに」

素直に謝ると、彼女は軽く首を振り、そっとボトルを手に取り、棚に戻した。それから、振り返る。

「…辛いの?」

僕は瞬く。

「なに?」

「奥サンのこと」

彼女ははっきりと言った。僕は黙り込む。彼女は、ゆっくりとベッドの方へ寄り、僕の傍らに腰掛けた。僕の肩に頭をもたれて、じっと顔を見つめてくる。

「辛いんでしょう?」

僕は黙っていた。折原は焦れたように僕をベッドに押し倒す。瞬時に彼女の顔が、薄暗い部屋のせいで、見えにくくなった。
彼女はゆっくり僕の耳に唇を寄せ、囁く。

「もう、忘れて」

忘れる…?
なにを?と尋ねようとした唇を、折原はすかさず自分の唇で塞いだ。それからゆっくり顔を離し、呟いた。

「私が、いるから…私は、宮沢を独りにしない」

−−あなたの、奥サンみたいに…。

その声が、震えていた。泣いているのかもしれない。
折原はまた唇を寄せ、今度は深いキスをした。彼女の真剣な気持ちを垣間見た気がした。本気なのだ。本気で僕のことを好きなのだ…。

けれど。

僕の凍てついた心には、彼女の言葉も、彼女の愛撫も、なにもかもが虚しく、響くことはなかった。彼女の熱い唇が、僕の首へ、胸へ、腹へと下っていく。


けだるいまどろみの中、僕はゆっくり目を閉じる…。


瞼の裏に、祥子の泣き顔を見た、気がした−−−。




あの合コン以来、僕と祥子は小まめに連絡を取り合い、順調な交際を続けた。
毎日のようにメールや電話をして、お互いスケジュールが合えば、デートを重ねた。
映画に行ったり、飲みに行ったり、僕の部屋に遊びに来たり…周りからは付き合っているように見えただろう。

だが、まだ付き合っているわけではなく、身体の関係はおろか、キスもしていなかった。

願望がなかったわけではない。何度、夢の中で彼女を抱いたか、わからないほどに。

きっとサラリと言い出せば、祥子はすんなりOKをくれたのだろうが、僕はとても慎重になっていたのだ。こんなに人を好きになったのは、生まれて初めてで、正直、祥子にどう接していいのか、わからなかった。

タイミングをいつも探っては、それを逃して苦悩すること、およそ半年。

転機は突然、何の前触れもなく、訪れた−−−。

ある夏の日、僕が仕事で遅く帰宅したとき、僕のアパートの外階段で、祥子が小さくうずくまっているのを見つけた。僕は慌てて彼女に駆け寄る。

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