《MUMEI》
夏実
昼。
泉沙知は、休憩所にいた。ソファにすわり、テーブルの上にある紙コップを取ろうとしたが、気配を感じてやめた。
「不意打ち!」
「きゃははははは、やめはははは…」
沙知は真っ赤な顔をして耐えたが、赤山法子のくすぐり方がうま過ぎる。
「やめて、降参、降参」
法子はくすぐりをやめた。
「全然ダメだね、沙知」
「赤山さん、でもこういうのって、訓練しても強くならないんじゃないですか?」
そこへ私服の星巻夏実が忍び足で近づいて来た。
夏実は笑顔。白い歯が美しい。彼女は沙知の顔を見ると、人差し指を口に立てた。
(しーっ)
そして、立っている赤山の両脇を背後からくすぐる。
「コチョコチョコチョコチョ、あれ?」
「何してんのあんた?」冷たい顔と声。
「赤山先輩はくすぐり平気なんですか?」
「コツがあるのよん」
迫って来た。夏実は両手を出して自動販売機まで下がる。
「待ってください…きゃははははは、やはははは、やはは、やめ、やめははははは…」
床に押し倒すとそのままくすぐり地獄。夏実が笑い顔から泣き顔に変わる。沙知が止めた。
「ダメですよ、そこまでやっちゃ」
夏実は息が荒い。
「ちょっと、息できないんだから、やめてくださいよう」
本気で怒っている。沙知が聞いた。
「夏実は何で私服なの?」
「きょうは仕事終わりです」
「午前中で仕事終わり?」法子が言った。「楽してんなあ」
夏実がむきになる。
「冗談じゃないですよ。きのう書類の山と夜まで格闘ですよ」
沙知は思い出したように言った。
「夏実。もし用事がなかったらつき合って」
「どこですか?」
「喫茶店」
沙知もなぜか私服に着替えた。Tシャツにジーパンの二人。警察官には見えない。
広い喫茶店に入ると、沙知は店全体を見渡せるカウンターの端にすわった。夏実も隣にすわる。
「泉さん」
「ん?」
「ここよく来るんですか?」
「あ、うん…」
夏実は沙知の様子を見て、ぷっと笑った。
「さっきっからキョロキョロ。習性ですね」
「いや、そういうわけじゃ」
沙知はメニューを手にした。しかし、また店内に目をやる。夏実は悪戯っぽい笑顔で聞く。
「怪しい人いましたか?」
「別に」
「泉さんの動きが一番怪しいですよ」
「嘘」沙知も笑う。
そのとき、中央のテーブルの男二人が目に入った。
年配の男と髪の薄い巨漢。隣同士だが何も話していない。
テーブルの下。全く同じ鞄が2つ。
沙知は怪しまれないようにチラチラと見ていた。
二人の男は、素早く鞄を取り替えた。
「!」
巨漢のほうがすぐに立ち、レジで料金を払うと、店を出た。
「行くよ」
「え?」
沙知と夏実も店を出た。巨漢を追う。
「夏実。気をつけて。覚醒剤を持ってるかもしれない」
「嘘!」
どう見ても強そうだ。力士かプロレスラーのような体格。こちらは女二人。乱闘は避けたい。
「ちょっといいですか?」
若い女性の声がしたので、巨漢は振り向いた。
沙知が笑顔で話しかける。
「その鞄の中身。見せていただけませんか?」
「…あんただれ?」
沙知は勝ち誇った笑顔で、警察手帳を見せた。
「何だ、刑事さんか。何かあったんですか?」
「同じ鞄をサッと取り替えたんで、あれっと思いまして」
巨漢の顔色が一瞬曇った。夏実は真剣な表情で構えていた。
「いやいや。参ったな。見られたんじゃしゃあない。協力しますよ」
巨漢は鞄を開けようとする。沙知は鞄の中身を見るために顔を近づけた。
ガツン!
鞄で顎にアッパーカット。沙知は仰向けに倒れた。
「先輩!」
男が逃げる。夏実は叫んだ。
「待ちなさい!」
夏実が追う。沙知は意識が朦朧として大きい声が出せない。
「夏実、追わなくていいから…」
巨漢はあまり足が速くない。鞄を持ちながら古い倉庫の中に入ったのが見えた。夏実は警戒しながら、広い倉庫に入った。
緊張する。婦人警官の仕事ではない。

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