《MUMEI》

「雨が降るとね、屋根から雨垂れが落ちる。
其れは何だか好きだなあ。蛙がぎよぎよ鳴くと飽きないね。君もそういうのを聞いてみないかい?」

ぼくには分かる、先生は暇を持て余していらっしゃるのだ。


「先生、星冠社の峯さんから明日原稿を取りにいらっしゃるとお電話が入りましたよ。」

峯さんは先生が駆け出しの頃からお仕事をしていて、二人は十年来の呑み友達と謂う。


「……なあ、君、蛙の声を聞き給え。」

先生はぼくの目の前で握っていた両手を開かれた。


ぎよ、ぎよ、と鳴いて、蛙が跳ねる。


「ぎゃあ!」

と鳴いて、ぼくも跳ねた。


「いや、愉快愉快!」

腹を抱えて先生は畳をのたうち回る。
ぼくは先生の暇潰しなのだろう。
悔しくて嬉しいと謂う此の矛盾、まあぼくは少なくとも雑用以外でお役に立てるのだから良い。


「先生、書いてくださいね。ぼくは先生の作品が読みたくて字を学んだんですから。」

のたうつ先生の横にぼくも寝転ぶ。


「峯君がそう謂えと?」


「捻くれないで下さい。ぼくの意思ですよ。」


「そうだ、私が原稿を書いている間、君と峯君はこそこそと内緒に何やらしていたんだ。」

ぼくが峯さんに文章を教えてもらっていたとき、臍を曲げた先生は原稿を持ったまま逃走し、結局、秘密で先生の作品を読もうとしていたことも知られてしまう。

唯、先生はぼくに本を与えて下さった。
日記帖だ。

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