《MUMEI》

今頃、先生は峯さんの家で奥様の料理を食べているのだろう。
ぼくは、一人の食事だ。
先生が居ない先生の家は何だか、別の場所のようである。


「満月だ。」

縁側に一人、腰掛ける。
満月の夜は拾われた記憶が甦る。
口のきけなかったぼくを縁側に連れ出し、先生は吠えた。
狼になるのだと謂う。

ぼくは呆気に取られたが、先生は至極当然に吠えていた。
真剣に月に吠える先生は可笑しくて、ぼくは声の出し方を思い出した。


「満月の夜は魂が解放されるのだっけ。」

先生はそうおっしゃっていた。


「……満月では無い、名月だ。」


「……先生!」

驚いた、先生が帰って来た。


「まあ、聞いて呉れよ。
峯君の新妻の飯の不味いこと、猫にこっそり分け与えようとしたが、猫なのに脱兎の如く逃げられたよ。」


「……其れで帰ってきたんですか。」


「そうさ、あんな不味い朝飯を厄介になる程図々しくなれなかったのでね。」

此処の町の最終はとうに過ぎている、先生は歩いて帰って来たと云うことになる。


「先生……」


「ほら、ぼやぼやするな、花見に出るぞ!」

先生はぼくの手をひいて大木のある河川敷まで連れて来た。


「花見って先生、桜なんて……」


「咲いてるぞ、そら!」

先生が大木を指差す。


「桜だ……」

大木の枝の先に桜の枝が結わえて或った。


「名月の夜の花見なんて中々風流じゃないか。」

先生が悪戯に笑う。


「先生、有り難うございます!」

其の日、ぼくは名月に吠えた。
先生への気持ちを一切飲み込んで吠えた。

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