《MUMEI》
皐月 上旬
皐月晴れ、と謂うがぼくは憂鬱だ。
梅雨が近いからかもしれない。

「四つ葉が或った。艶子の好きなシロツメクサも。」

先生は、五月病なんて言葉を知らないのだろう。
清々しい笑顔だ。


「幸福の象徴ですね?」


「さあ?分からないな。でも君にあげる。」

先生はぼくにシロツメクサの冠を掛けようとしてくれた。
咄嗟にぼくは避けてしまう。


無垢な先生の指から冠が落ちた。


「私の誠意を落としたな?」


「先生、ごめんなさい……ぼくには勿体無くて。」


「君は隠しているね、嘘をついた……出ておいき。」

先生はあれを見たんだ。


「……ぼくを罵らないんですね。」


「君が私を罵らないから。」

先生は四つ葉を一枚、また一枚と毟る。


「先生を愚弄なんて出来ません。」


「私だって君を罵倒する資格は無い。」

ぼくも先生も侵せない領域を持っている。其れは曖昧で脆い。
ぼくらは最初の頃のように互いに話す術を失っていた。



「……あのね、痴話喧嘩は原稿終えてからにして下さいね。」

峯さんが大福を片手に入って来る。


「峯君、其れはなんだい。」


「先生が以前から食べたいとおっしゃっていた萬来饅頭です。」

其れは先生が全財産を廢てても食べたがっていた魅力的な銘菓だ。


「いけない、茶が要るぞ……君、君!熱い茶が要るんだ!」

先生の頭は饅頭に支配され、嘖いは過去に消失した。

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