《MUMEI》 それ以上、わたしたちの間に、言葉はつづかなかった。再び、沈黙がおとずれる。 わたしたちの頭の上に、どこまでも広がる空の彼方で、一度だけ、鳥が鳴いた…。 ◆◆◆◆◆◆ しばらく、ふたりでぼんやりと中庭の景色をながめていたが、突然、柊は腕時計をながめて、「そろそろ行かないと」と呟いた。わたしが、不思議そうな顔をすると、柊はやさしい声でささやいた。 「これから、バイトなんだ」 「バイト…?」 わたしの問いかけに、柊は頷いた。 「すぐそこのコンビニで。始めてから、もう3年になるかな…」 3年。 わたしが、眠りについたのが、5年前。わたしの意識がない、その間に柊は、バイトをはじめたということになる。 ちょっとだけ、さみしいとおもった。 わたしを取り巻く時間は、5年前の事故から…いいえ、わたしの人生すべてがリセットしているのに、柊は、確実にべつの5年間を過ごしていたのだ。 わたしひとりを、残して。 「部屋に戻ろう」 そう言って、柊はベンチから立ちあがり、わたしの車椅子を押しはじめる。車に揺られながら、わたしは俯いて、自分の手に握られている小さな白詰草を、じっとながめていた。 それでも、わたしには、柊が言った、白詰草であそんだ記憶は、おもい出せなかった。 ◆◆◆◆◆◆ 「それじゃ、帰るけど、ゆっくり休みなよ」 車椅子からわたしを抱きあげ、ベッドに横にさせてから、柊はさわやかに言った。わたしが黙って頷きかえすと、柊は目元にふんわりと、やさしい笑みをにじませる。 . 前へ |次へ |
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