《MUMEI》

その昔は……わたしが事故にあう前、柊は黒いセルフレームの、オシャレな眼鏡をかけていた。眼鏡にはこだわりがあって、ナントカというブランドのものしか買わないのだ、と自慢げによく話していた。


「昔は、かけていたじゃない?なんだっけ…ナントカっていう、ブランドのやつ」


わたしの言葉に、柊はなぜかハッとしたように、顔を強張らせた。

明らかに、狼狽していた。わたしは首をかしげて、どうしたの?と尋ねると、柊はあわてて笑顔をうかべ、なんでもない、と答えた。

「コンタクトにしたんだ。眼鏡はやっぱり、不便だからさ」

わたしはじっと、柊の顔を見つめて、ふぅん、と一声、唸った。

柊は窓の外をながめて、散歩にいこう、といつものように呟いた。彼はいつものようにわたしを抱きあげて、いつものように借りてきた車椅子にわたしを座らせ、いつものようにその車椅子を押した。




すべて、『いつも』のことだった。

柊は、『いつも』と変わらず完璧だったけれど。


どうしても、胸に渦巻いた『違和感』が、消えなかった。




それがなぜなのか、わたしはわからずにいた…。





◆◆◆◆◆◆




目覚めてから、数週間がたって、

わたしは、退院することになった。

これからは自宅から、この病院へ週に1回、通うことになる。


5年間、寝たきりだったから、わたしの筋肉は衰えていたが、すぐにリハビリをはじめたことにより、普通の生活に不自由しない程度に、両腕は動かせるようになった。


ただ、最初にお医者さんが言っていたように、両足には麻痺が残った。

力を入れて動かそうとしても、びくともしなかった。こればかりは、リハビリでも回復しなかった。

ひとりで立つことも困難で、車椅子での生活が余儀なくされた。


お父さんとお母さんは、命が助かっただけでも、良かったとおもわなくちゃ、と言っていた。

わたしは、なんだか信じられないきもちでいっぱいだった。


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