《MUMEI》 タフガイ刑事課の部屋に入ると、有島課長がデスクで文庫本を読んでいる。 沙知は弾む声で聞いた。 「またハードボイルド小説ですか?」 有島は顔を上げる。 「沙知。オレの幅の広さを知らないな」 有島が文庫本の表紙を見せた。沙知は笑顔で驚く。 「推理小説じゃないですか。生き方変えたんですか?」 「バカそんな大袈裟なもんじゃねえよ」 「思考が刑事に近づきましたね」 「どういう意味だ?」 有島はしおりを挟むと、本を置いた。 「だって、ハードボイルドばかり読んで、探偵に憧れているのかと思った」 「いやあ、沙知の言う通り。警察官は偏っちゃダメだね。バイオレンスアクションだけじゃ事件は解決しない」 「わかってますよ、そんなこと」 沙知は短く笑う。有島は本を手にすると力説した。 「推理小説に出てくる刑事は凄い執念なんだ。事件が解決するまでは風呂入ってるときもメシ食ってるときも、事件解決のことしか頭にないんだ」 「ほう」沙知は口を尖らせる。 「何がほうだ?」 「いえいえ、続けてください」 「容疑者が絞られてもよ。暴走する上を尻目に、本当にこの男が真犯人なのか。とことん疑うんだ」 「普通そうなんじゃないんですか?」 「まあ聞け。主人公の刑事はよう、アリバイを崩すために北に南に東に西に、縦横無尽に飛び回るんだ」 「はい」 「やはりこれからの警察官は、頭脳もタフじゃないとな」 「凄いじゃないですか」 沙知は笑顔で小さく拍手のポーズ。 「何だ、あまり感動してないみたいだな」 「感動してますよ」 「この燃える心に冷水を浴びせるのは良くないな」 沙知はケラケラ笑った。 「そんなこと。課長が情熱的なのは、あたしがいちばんよくわかってますよ」 かわいい部下の嬉しいセリフに、有島は歓喜の笑顔だ。 有島と沙知が見つめ合う。そこへ鍋咲が乱入。 「何朝から熱い眼差しで見つめ合ってんのや?」 二人は慌てて目をそらせた。 「ただでさえ暑くてかなわんのに、自ら温度上げてどないすんねん」 「口が減らないですね、ホントに」 沙知が腕組みして睨む。有島も本を渡す格好をした。 「鍋さんも推理小説読んで、いぶし銀を目指してよ」 「わいはいぶし銀や。課長と沙知みたいな偽善者コンビとはちゃうわ」 言うと笑いながら走って逃げる。 「こらっ!」 沙知が怖い顔で怒鳴る。鍋咲の姿はもうなかった。 「何だよ偽善者って?」有島も納得いかない表情。 「ウケるためなら何でも言うんだから」 「鍋さんは推理小説読んでも変わらないな」 「ホントですよ」 有島と沙知は何となく部屋の端にいた岡松を見た。 「…無理だろうな」 「ダメですよ、そういうこと言っちゃ」 何か二人が笑顔で自分を見ながら話している。これは気に入らない。 「何ですか課長?」 「いや、岡松さんも、推理小説読んだところで、何も変わらないかなと」 「ひどいじゃないですかあ。引き合いに出さないでくださいよう」 そこへ法子と夏実と純平が入って来た。 「あ、沙知。今度休みいつ?」 「赤山さん。警察官に休みなんかあるわけないじゃないですか」 「へ?」法子は目を丸くする。 「365日防犯ですよ、防犯」 「どうしたんですか泉先輩」夏実が言った。「またマッサージ行きましょうよ」 「行かない!」 「そんな怒らなくても」純平も一緒に驚く。「飲み会には僕も合流しますから」 「行かない!」 有島は文庫本を純平に見せた。 「おまえも遊ぶことばかり考えてないで、推理小説を読め」 「推理小説?」 「これからの警察官は頭脳もタフでないと務まらない。警察も変わるときが来たんだ」 「目覚めたな」法子は心配顔。 「そう決意すると、推理が必要ない事件ばっかり続いたりして」 「だから沙知は冷水を浴びせるなって」 有島は本で頭を叩くマネをした。 「すいません」 沙知は、白い歯を見せて笑顔の華を咲かせた。 END 前へ |
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