《MUMEI》

 「いってらっしゃいです。正博君」
翌日、普段通りの朝
眼がさめ、コーヒーを淹れファファを起こしてから朝食をとる
変わらない時間
だが、この日だけはそれら全てにごくわずかな違和感を感じたのは、田畑だけでなくファファも同様だった
その事を口にする事はどちらもする事はなかったが
今日が最後
その違和感を、どうしても拭い去る事は出来なかった
「行って、くるな」
戸に手を掛けた、次の瞬間
背に温もりを感じる
そちらを見れば、田畑の背に額を押しつけているファファの姿が
「どした?」
努めて平静に、普段通り問うてやれば
ファファは顔を伏せたまま
「お帰りなさいも、言いたいです」
声に涙をにじませる
ファファの方へと身をひるがえした田畑が、視線を合わせるため膝を折るとファファの顔を覗き込んで
指先で彼女の眼尻にたまる涙を拭い取った
そして自らの右腕から時計を外すと、ファファの左腕に付けてやった
自分を・この家で過ごした日々を忘れないで欲しいとの思いを密かに込めて
「正博君……」
「俺からのプレゼントだ。使い古しので悪いけど、貰ってくれるか?」
「でも、でも。これないと正博君が困るです……」
常日頃、この腕時計で田畑が時刻を確認していたのを知っていたファファが、それを外そうと時計へと触れる
ソレを田畑が止めていた
何を言う訳でなく、ファファの手の上へ自らのソレを重ねるだけ
だが、それさえもファファは嬉しかった
暫くそのままで、田畑は行ってくると改めて表戸を開く
その戸の向こうへと消えて行ってしまう田畑の背
閉まった瞬間に、涙が溢れ出して
頬を、止まる事無く伝っていく
肩をしゃくり上げる度、ファファの腕にある田畑の腕時計が弾み
軽い金属音を立てた
「ありがと、です。正博君……。ファファの事、いっぱいいっぱい大切にしてくれて、本当にありがとです……」
居なくなってしまった彼に、届かない感謝の言葉
一人、呟いた後
「行きましょうか、Cat`s」
背後からの、Big Catの声
ゆるりと振り返るファファの頬へ、撫でる手が伸びた
「別れは、後に伸ばす程辛くなります。だから、ね……」
「やっぱり、もう帰らなきゃ、駄目ですか?」
問うファファへBig Catの返答はやはりYes
それ以上を語る事のないBig Catに、ファファは何を言う事も出来なくなり
渋々、聞きわけるしかない
そしてBig Catに連れられ、ファファは田畑の部屋から姿を消したのだった……

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