《MUMEI》 口は災いのもと千夏は海の家に入ると、カウンターを見た。年配の女性がいる。丸い眼鏡に白髪混じりの髪。 ものさしで肩を叩いているしぐさに、千夏は笑みが浮かぶ。 「オバちゃーん。アイスクリームちょうだい」 店主のようだが、イスにすわって伝票をめくっている。耳が遠いのだろうか。 「オバちゃーん。アイスクリーム」 聞こえないわけがない。千夏は呆れ顔で言い直した。 「オネーサン、アイス」 それでも無視。千夏はややムッとした。 「じゃあ、何て呼べばいいんですか?」 「すいませんでいいだろう!」 いきなり声を発するので、千夏はびっくりした。 「ホントに最近のガキンチョは、口の聞き方知らないから困るね。親の顔が見たいよ」 「ガキンチョじゃねえよ、二十歳の大学生だよ」 「学生名乗るなら教養あるとこ見せてみろよ」 千夏も引けなくなってしまった。 「待てよ、こっちは客だぞ」 「客が聞いて呆れるね」 「はあ?」 お互い喧嘩腰だから、言葉があまり意味になっていない。 「初対面なんだからすいませんでいいだろ?」 「悪気があってオバちゃんて言ってんじゃねえだろ」 「だろじゃねーだろ。大して親しくないのにオバちゃんなんてなあ、百万年とみっかハエーんだよ、みっか!」 千夏は開いた口が塞がらない。 「バカバカしい!」 吐き捨てるとロッカールームへ向かおうとした。 「アイスどうすんだい?」 「いらねーよ」 「いりませんだろ?」 「細けんだよクソババー」 入った。ダメージは大きい。 「待てガキンチョ。私はこう見えてもまだ53だぞ!」 「十分ババーじゃねえか」 また入った。店主は口を開けたまま硬直した。 千夏はロッカルームに入ると、キーを手にする。 「とんだ厄日だ」 キーをロッカーに差し込もうとしたが、すでに開いていることに気づいた。 「え?」 怖々開けると、そこには何もなかった。千夏は全身から血の気が引いて、立っていられない。 まさか。盗まれた。財布から携帯電話、着替えまで、すべて盗まれた。 (落ち着こう) 彼女は自分に言い聞かせた。まずはカードなどを止めなくては。 千夏は急いで店主に言った。 「すいません」 「やればできるじゃないか」 「あの、ロッカーの中に入れてたもの、全部盗まれちゃったんですけど」 蒼白な千夏。しかし逆恨みなのか、店主はものさしでピタッと壁を差した。 「え?」 そこには貼り紙があった。 『盗難の責任は一切負いかねます』 千夏は尊敬の眼差しで店主を見つめると、しおらしい声で話した。 「あたし、責任なんて追及してませんよ。助けてくださいとお願いしてるわけで」 ところが、店主は伝票に何かを記入しはじめる。 千夏は頭を下げた。 「先ほどの態度は謝ります。ごめんなさい」 「私が男ならイチコロだろうけどね。人のことクソババーなんて言うガキンチョなんか、知らないね」 千夏は心底困った。 「電話貸してください」 「1回10円」手を出す。 「もちろん払います」 「前払いにてお願いします」ふざけた調子で言った。 「どうしたら許してくれますか?」 「あああ、眠い」 千夏が屈むとすかさず言う。 「土下座なんかしたってダメだよ」 千夏はおなかに手を当てると、丁寧な口調で言った。 「あたし水着なんですよ。この格好じゃ海から出られないことくらい、同じ女性ならわかりますよね?」 すると店主はすわったまま踊り出した。 「わかんない私ババーだからあ」 千夏は心底困り果てた。意地悪した挙げ句許してくれることを信じて、短気を起こさないようにした。 店主が笑顔でメモ用紙に何かを書いている。 「あんたに言葉をプレゼントしてやるよ」 千夏は唇を噛んで待った。 「ほれ」 期待して受け取る。 『口は災いのもと。ぐはぐはぎひひい!』 「もう頼まない」 千夏はメモを投げ捨てると、出ていった。 「冗談だ。戻って来い!」 前へ |次へ |
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