《MUMEI》 その事故から5年がたった、ある日、わたしは目を覚ました。わたしに関する、すべての記憶をなくして。 けれど、病院に見舞いにきた、5年まえの柊にそっくりな潤の顔を見て、わたしは、《シュウ》と呼んだ。 「栞が、俺と兄さんを勘違いしていることに、すぐに気がついた。おばさんと静さんは、真実を話そうと言ったけれど、俺がとめた。栞のまえだけでいいから、俺を兄さんだと扱ってくれって」 「どうして?」 「栞が、兄さんの生存を望んでいるなら、俺が叶えてやろうとおもった。俺が兄さんになりすまして、栞を夢の世界から、助けだしてやろうって、おもったんだ」 わたしはなにも言わなかった。潤はもう、黙ってはいられないようだった。 「あの事故から、毎日が地獄みたいだった。俺は、あの日、いろんなものを失った。兄さんや、栞の夢を、未来を奪った。でも、それよりも、もっと苦しかったのは、栞が目覚めてからずっと、兄さんをさがしていることだった。兄さんはもう、この世にはいないのに。とんでもないことをしでかしたんだって、ずっと、つらかった」 そう話した潤の顔は、疲れきっていた。 わたしはゆっくり手をのばし、潤の手に触れた。それは、わたしの記憶の中の、潤のものより、ずっと、大人びていて、そしてかなしかった。 5年まえ、運命の交差点で、掴めなかった、あの少年の腕よりも、ずっと−−−−。 わたしたちの間を、秋の気配をふくんだ風が、通り抜けていく。 涙が、止まらなかった……。 ◆◆◆◆◆◆ 前へ |次へ |
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