《MUMEI》
まさかの宿泊
なかなか乱が帰ってこない。勇一は静かに立ち上がると、忍び足で玄関に近づき、音を立てないように鍵を開けた。
「そこにいるのはわかってるんだ!」
勢いよくドアを開けたがだれもいない。
「ふう」
勇一は居間に戻ると、千夏に言った。
「二人きりの時間をわざと長くしてるんだよ」
千夏は勇一の耳もとに口を当てると、小声で囁く。
「盗聴器なんて仕掛けてないですよね?」
「はう!」
勇一は目を丸くすると、バスルームに向かった。
「入ってくる」
「お風呂湧いてるんですか?」
「シャワーだよ」
一人残された千夏は、ただすわっていた。部屋を見回す。ふすまがあるが、向こうは寝室だろうか。
乱が帰ってきた。
「お帰りなさい」
「あいつは?」
「シャワーです」
「何もされなかったか?」
「まさか」千夏は笑った。
「泊まってくだろ?」
「はひ?」声が裏返る。
「誤解を解きに来たんじゃないのか?」
乱は冷蔵庫にものを入れながら、さりげなく聞く。千夏はかしこまって答えた。
「そうなんですけど、泊まるのはちょっと」
「明日の朝まで何も起きなかったら信用するよ」
「はあ…」
千夏が迷っていると、乱がピンクのパジャマを持ってきた。
「これプレゼントするから」
「いやあ…」
「あ、千夏は全裸で寝るからいらないか」
「いただきます!」千夏はパジャマを受け取った。
まさか虎穴に泊まることになるとは。どんな罠が張られているかわからない。
勇一が引っかからなければいいが…。
勇一がバスルームから出てくると、乱はあっさり言った。
「千夏飲むだろ?」
「飲みません」
「飲め」
「あたし飲めないんです」
「水割り何杯も飲んだんだろ?」
「うっ…」
千夏はチラッと勇一の顔を見た。勇一は俯いている。
「飲みます」
「じゃあ、飲む前にシャワー浴びたほうがいいよ」
「シャワー?」
千夏は躊躇した。若い女子にとって、人の家でシャワーを浴びるのは、結構大胆な行動だ。
「や、一晩くらい大丈夫ですよ」
「冷や汗流してきな」
ギクッ…。
「冷や汗じゃなく、汗を流してきます」
千夏が立ち上がると、乱がパジャマを掴んた。
「忘れもの」
「や、旦那さんの前でパジャマ姿は失礼ではないかと」
「裸見られた仲だろ?」
「天に誓って見られていません」
千夏はパジャマを受け取ると、バスルームに逃げた。冷や汗100リットル流出で脱水症状を起こしそうだ。
カーテンを閉めて、脱衣所で服を脱ぐ。全部脱いだ抜群のタイミングで勇一が声をかけた。
「千夏チャン」
「バッ…」
カーテンのすぐ向こうにいる。身の破滅は嫌だ。
「何ですか?」
「乱が、シャワー浴びる前に一杯水分補給したほうがいいって」
カーテンを開けずに勇一の手が。千夏は冷たい緑茶が入ったグラスを受け取った。
「ありがとうございます」
罠だ…。千夏は緊張しながら緑茶を飲みほした。
軽くシャワーを浴びて、バスルームを出た。
居間に戻る。ピンクのパジャマ姿。裸足の美少女。勇一は凝視したかったが、我慢した。
「かわいいな。似合うよ」乱が言う。
「ありがとうございます」
どこへすわろうか迷う千夏に、乱は勇一の真向かいの席を差した。
「ここすわんな」
「はい」
「言い忘れたけどこの人パジャマニアだから」
(じゃあ何で着せるの?)
虎穴どころか炎の中の綱渡りだ。
夕飯の準備は整っていた。料理は野菜炒めだ。
「じゃあ、乾杯だな」
千夏はすかさず乱にビールを注いだ。
「注いでやって」
「はあ…」
千夏は飲む前から顔が赤い。緊張しながら勇一にもビールを注ぐ。
乱が勇一を睨む。勇一は千夏にビールを注いだ。
「恐縮です」
「慣れたもんだろ?」
答える気力もない。千夏は笑いで空気を和らげようとした。
「何に乾杯ですか?」
「本妻と愛人。両手に花に乾杯」
「乱さん日本語になってませんよ」
「ハハハ!」
受けた。

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