《MUMEI》
地獄の三丁目
千夏は早歩きで行こうとしたが勇一が腕を掴む。
「待とうよ千夏チャン」
「ダメです。こんなところ乱さんに見られたら終わりだから」
「終わらないよ。これから始まるんだ」
話になっていない。
千夏が店を出て左側へ行こうとすると勇一がついて来る。
千夏はくるりと向きを変えて右側に行く。やはり勇一が来る。
「ついて来ないで」
「たまたま同じ道を歩むんだ。まるで人生」
「はあ…」心底呆れる千夏。「勇一さん!」
「僕がどういう道を行こうが君には関係ないよ」
「結婚した人は奥さん一筋に生きてください」
「結婚したあと千夏チャンみたいな女神に会ったらどうすんの?」
「それでも奥さん一筋が男の生きる道でしょう」
「ダメだ。君はあまりにもかわい過ぎる」
「女は顔じゃないでしょ!」
「女は顔だよ!」
「勇一さんそれって人間やめますか一歩手前ですよ!」
熱を帯びてきた。
「外見がダメでも内面を愛してください」
「そこまで言うほど外見ダメとは思ってねんだけどなあ」
「……」
「……」
何か今。第三者の声が交じったような気がする。
千夏と勇一は恐る恐る声のしたほうを見た。
怒虎乱!
「嘘…」
「ようこそ。地獄の三丁目へ」
千夏は戦慄しながら言った。
「乱さん、偶然に決まってるじゃないですかあ」
「そう偶然」勇一も蒼白な顔で頷く。
「百万歩譲って偶然だとしても、今の会話は許されないな」
二人とも血の気が引いた。ついに仲間割れ。
「勇一さんが全部いけないんですよ!」
「僕のせい?」
「ほかにだれのせいなんですか、言ってみなさいよ!」
「すべての原因は千夏チャンがかわい過ぎるからだよ」
「一回人間やめたほうがいいですよ!」
「命の恩人に何てことを」
たまらず乱が口を挟んだ。
「犬も食わねえよ。夫婦喧嘩なんか」
信じがたいセリフに、千夏の笑顔も歪む。
「夫婦だなんて、乱さん。ブラックジョークにもなってませんよ」
「そりゃそうだよ。ジョークじゃねえもん」
勇一は乱の後方を見ると、指を差して叫んだ。
「あ、エリカさんだ!」
「そんな技は通用しねんだよ」乱が睨む。
「ホントホント。タクシーから今降りてきた」
通行人が騒ぎ出した。
「あれエリカじゃない?」
「ホントだ」
乱が振り向く。本当にエリカがいた。
「ホントだ」
「キャー…怒虎乱!」
「嘘!」
通行人が群がろうとする。乱は慌てて二人を見た。いない。
「待てこらあ!」
「待たん!」
勇一と千夏は必死に走った。捕まったらパイルドライバーだ。
「待て!」
勇一がバランスを崩して前のめりに倒れ込んだ。
「まずい!」
勇一は振り向いて片手を出した。
「話せばわかる…あれ?」
乱は勇一を素通りして千夏を追いかけた。
「そんな!」
「止まれ止まれ!」
千夏は息切れして早く走れない。体力、スタミナでは勝てない。乱は千夏を捕まえた。
「テメー、約束破ったな?」
「パイルドライバーはやめてください」千夏は寝転んだ。
「立てこらあ!」
「ちょっと待ってください!」
「おめえのちょっと待ってにはもう騙されねえよ!」
「乱、何やってんだよ?」
「あ、エリカさん」
エリカが女性ファンを引き連れて歩いて来た。
「あれ、夕真も一緒か?」
「ハハハ。違いますよ、こいつ千夏って言うんです」
「千夏?」
「初めまして」
「乱の後輩か?」
「旦那の愛人ですよ」
千夏は目を丸くして両手を振った。
「違います違います」
「不倫はいかんぞ」エリカが睨む。
「助けなくていいのかい?」梅干しバーサンが勇一に聞く。
「僕が行ったら火に油ですよ」
「なるほど。まあ、あの子は悪運強そうだから大丈夫だろう」
千夏は今度こそ交わしきれないか。
「乱さん、エリカさん、聞いてください」
「聞くよ。道場で」
「何で道場へ連れて行くんですか。意味わかりませんよ」
千夏、絶体絶命!


END

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