《MUMEI》 一幕一週間にある、限られた定休日。もし、その日が土砂降りの雨の日だとしたら、憂鬱な気分になるだろうか。それとも、安らぎを感じるだろうか。休日の雨をどう捉えるかは個人の自由だが、雨が降っている方が安心を得られるものだから、私自身は雨の日が嬉しい。だけども、私の周囲にいる友人は「それって変じゃない?」「雨の日なんて、じめじめしてて嫌い」などの反対声を聞くことがよくある。だが、毎日を過ごしていれば、雨の日とは必ず経験するものだから、そう思う人がいるのも仕方ないことなのだ。そうであるから、どうして私が雨を好きなのかを、雨嫌いの人達に雨を好きになってもらうため、また私と同様に雨を好きな人に、考えを深めてもらうために雨についてお話したいと思う。 私が雨を好む最大の理由は、雨音の作り出す一定のリズムが、ぎすぎすした人心の荒廃を癒してくれるということだ。人間生きていると、嫌なことや辛いこと、悲しいことや苦しいことなどの、マイナスの感情を持つことはよくあることだ。これがどういうことなのかを例えてみるならば、貴方と友達が一緒に遊んでいて、些細なことで揉めたという設定にしよう。スポーツでのファール。サッカーならば、あいつは手を使っただろう。いいや、使っていない。この二つの意見が現れるだけで、互いにぎくしゃくとして言い争いが起きるだろう。 こうして長い間に渡って論争をしていると、貴方は自分の意見が通らないまどろっこしさに苛立ちを覚えるに違いない。更に相手から怒鳴られて反論された暁には、頭に血が上ってしまうだろう。そして、貴方は自分の意見が通らないで話し合いが終えてしまてば、良い気分にはならないはずだ。それに、そのまま貴方が家に帰ったとしたら、言い合った相手とはぎくしゃくした関係のままなのではないだろうか。だが、そんな時にぽつりぽつりと雨が降り出したらどうだろう。雫の作り出す旋律が、あたかも心の荒涼を潤すように染みていくのではないだろうか。怒りでかっと熱くなった想いを冷やし、自分の見間違いだってあったかもしれないと、冷静に物事を受け止められるようになって、自分にも非があったと寛大な気持で考えられるだろう。つまり、友達と喧嘩をした時に嫌な気持になったとしても、雨はそんな気持を洗い流してくれるし、自らを冷静な気持にしてくれるということなのだ。もちろん、それは相手側にも言えることで、お互いの心が洗われて仲直りをする可能性もぐっと高くなるのだ。 その訳として一つの理由がある。雨の作り出す音は、子供が母胎の中にいる時に感じる音と似ているというのだ。だから、人間は雨の律動的な音を暫く聞いていると、まるで母に守られているような安心を根源的に得られるという訳だ。したがって、心の荒波は漣へと変わり、物事を様々な角度から見詰めることも出来る。要するに雨音とは、刺々しい感情を宥める心の栄養なのだ。 しかしそんな心理的な効果がある雨音だが、良いことばかりがある訳ではない。雨が降ると人間は晴れの日よりも、いくらか自殺率が上がるというのだ。これは私自身の経験から言えることなのだが、失敗続きの日々を味わうと理解出来ると思う。 |
作品目次へ 感想掲示板へ 携帯小説検索(ランキング)へ 栞の一覧へ この小説は無銘文庫を利用して執筆されています。無銘文庫は誰でも作家になれる無料の携帯・スマートフォン小説サイトです! 新規作家登録する 無銘文庫 |