《MUMEI》
・・・
 「もっと早く気づけよな、今日は帰さないから覚悟しろ!」
 帰さない、まさか夜まで続くのか!
 想像したくもない光景が浮かびだす。ベッドに腰掛ける二人の男、それぞれ頬をリンゴのように赤く染め黙り込んでいて、なにを話せばいいのか、切り出せずにチラチラと互いを窺う。
 「や、やめろ!俺はそんなこと絶対に嫌だ」
 そんな展開は断固拒否しなくてはならない。ファースにそんな気は微塵もない、貞操の危機に目を見開き声を荒げる。
 「何言ってんだ、お前くらいの歳なら初めてでもないだろこんなこと」
 ファースの乱れように驚いたオヤジは手の平をファースに向け穏やかな声で諭そうとする。子供を言いくるめる様に優しい瞳をして。
 だが、ファースにはその落ち着いた様子が嵐の前の静けさのように思えた。
 「こ、こんなことだと!そんなに頻繁にやってるのか――や、やめろ、俺に近寄るな!」
 「なに身構えてんだよ、まさか初めてなのか」
 「当然だろ、お前が狂ってんだ」
 「俺が狂ってる?みんなやってる。そんなはずないだろ」獲物を狙うハイエナのようにヒタヒタと距離を詰めてくる、「気分でも悪いのか、真っ青じゃないか」女神さまのような微笑み。ファースは恐ろしさに負けてしまい腰が抜けてそのまま石畳に尻をついてしまった。
 「どうしたんだ、腰抜かしちまって持病でも持ってんのか?」
 もう叫ぶことも出来ず「や、や、やめろ。来るな」絞り出すような声で、使えない足を引きずり手だけで後ろへ下がろうとする。足を負傷し必死に戦場を逃げ惑う兵士のような姿で、彼は未知の生物から這いずり逃げていく。
 這いずりまわった結果、壁にぶつかり退路を断たれてしまう。逃げたくても逃げられないファースは、微弱に震える身体ではげオヤジの怪しく光る顔を仰ぎ見た。
 逆光に照らされ光りを放つ頭部。
 目が眩みオヤジの表情を捉えることは出来ない。
 逃げることも出来ない。
 「うぁ、あ・・・あ・や、やめろ近寄るな」もう下がれないと分かっていながらも必死に足をバタつかせ逃げようと頑張ってみるが、壁が邪魔で進むことは出来ない。
 じわじわと、弱った獲物を追い詰めるクモのように近づいてくるオヤジに、嫌々と首を振り拒絶を示す。
 が、ついに未知なる生物は腰を抜かし壁にへばり付いた青年に手をさしのばした。

 「腰が悪いんなら早く言っちまえばいいだろ、手くらい貸してやるさ。
 やっぱり腰痛持ちにバイトはちとキツイか?それならお前がそんなに嫌がるのもわかる気はするが・・・」

 呆気にとられ固まる青年。どこか気の抜けた、しかし救われたようだった。

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