《MUMEI》
静果
西枝静果。二十歳。
彼女は小説家を夢見て、今はケータイ小説サイトで小説を書いている。
漫画家と並んで、作家という職業は、常に「なりたい職業」のトップクラスに位置している。
国家試験があるわけではない。作家への道は険しい。だが静果は諦めるという発想がなかった。
夢は必ず叶うと信じていた。
ここは送迎バスの中。静果は派遣のアルバイトをしていた。一人暮らしだから毎日フルタイム働かなければ生活ができない。拘束時間も長いから、バスの中で待機している僅かな時間を利用して小説を書いた。
朝7時45分に駅に集合し、点呼。
「おはようございます」
「おはよう。西枝さんはマイクロバス」
「はい」
静果はマイクロバスに乗ると、すぐに携帯電話を開けて小説を書く。
(姫を地下室に連行して、あんなこととか、こんなこととか…)
しかし、静果が登録しているケータイ小説サイトは、結構ルールが厳しい。
18禁御法度なのだ。だからもっと刺激的に書きたくても、ソフトにするしかない。
結局強面な隊長は、実は根っからの侍で、姫を丁重に扱い、辱めたりしない方向でストーリーを進めた。
「点呼取ります」
静果は携帯電話を閉じた。間違って違う送迎車に乗る人もいるので、出発する前にもう一度点呼を取る。
「にしえだ、しずかさん」
「はい」
きょうの現場は食品関係だ。食品を扱う仕事は気を使う。
静果のほかに高校生バイトが4人。女子5人の現場だ。
皆ユニフォームに着替え、キャップをかぶり、マスクをしてエアシャワーを浴びる。
手をきちんと洗い、消毒して仕事場へ。手抜きすると社員に叱られる。
ベルトコンベアーのスピードは速かった。派遣は補充の仕事を任された。
静果は一生懸命駆けずり回って味噌汁の蓋を補充したり、具が入った箱を取り替えたり、カップの箱を取り替えたりと大忙しだ。
「蓋なくなるよ!」
「はい」
静果は走った。ビニールを切って味噌汁の蓋を指定の容器にうまく入れるつもりが、慌てていたのでぶちまけた。
「すいません!」
「何やってんの?」
「ライン止まったらあんたのせいよ」
パートさんは女子に厳しく男子に優しい。まあ、男の社員は男子にきつく女子に甘いから、結局同じなのだが…。
高校生バイトを見ると、なぜか余裕だ。動きがマイペースを通り越してスロービデオだ。
「あり得ねえ」
静果は声に出して言った。パートさんも怒る。
「あんたリーダーでしょ。注意しなさいよ」
リーダー手当てはもらっていない。皆同じ時給800円だ。
静果は高校生バイトにきつく言った。
「もう少し機敏に動いてよ。あたしが怒られるんだからね」
「はあ!」
一人が箱を投げ捨てるように置いて凄んだ。
「やんの?」
「え?」静果は焦った。
「やんのかよ?」
「冗談じゃないわよ、あたしまで首になっちゃうよ」
静果はその場を離れた。
「だから元ヤンは嫌いよ」
元ヤンどころか現役ヤンキーかもしれない。こういう人間にはパートさんも注意しない。
結局まじめにやっている人がパワハラに遭うという理不尽が起きるのが職場の常だ。
静果は何とか一日頑張った。9時から17時。長かった。
着替えを済ませ、事務所で日報にサインをもらうと、仕事は終了だ。
「ありがとうございました。お先に失礼します!」
しかし無反応。皆パソコンに向かって仕事をしている。
静果は寂しい気持ちで事務所を出た。明るく爽やかに挨拶したのに。
「社員か派遣で区別するなんて、人間やめますかの一歩手前よね」
腹いせに独り言を呟いていると、パートさんが向こうから頭を下げる。
「お疲れ様!」
「あ、ありがとうございます。またよろしくお願いします」
たった一言の挨拶で気分が軽やかになった。
「人間を見た」
弾む足取りでバス停に向かう。帰りは送迎車が出せないということで、各自事務所に直帰だ。
「ん?」
怪しい人影。

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