《MUMEI》 理想と現実静果はアパートへ帰った。彼女の部屋は2階だ。 狭いワンルーム。エアコンのスイッチを押すと、デスクに向かい、すぐに携帯電話を開けた。 着替える時間も惜しいとばかり、小説の続きが書きたかった。 小説だけではない。ブログを書いたり、ブログフレンドのブログを見たり、あるいはケータイ小説サイトでほかの人の作品を読んだりと忙しい。 ネットの海なら何時間でも泳いでいられる。静果は夢中になってケータイを操作した。 「パソコン欲しいな」 呟いてみる。彼女は一旦ネットから離れ、ケータイの電卓で計算してみた。 800円×7時間=5600円。 5600円×22日=123200円。 家賃は53000円。これが痛い。さらに水道、電気、ガスなど光熱費があり、市県民税もある。 静果は計算するごとに気持ちが重くなってきた。 「家賃払ったら飲まず食わずだ」 現実は厳しい。理想は遥か彼方高く、夢は地球のように大きい。 理想と現実のギャップに押し潰されそうだった。 「ふう…」 思わずため息が出てしまう恋、ならいいが、ため息が出ちゃうような生活なんて、全く絵にならない。 静果はケータイを閉じようとしたが、電話がかかってきた。 「ヤバ、不動産屋」 緊張した。 「はい」 『西枝静果さんの携帯電話ですか?』 「はいそうです」 『今月の家賃の引き落としが確認できなかったので、お電話差し上げたのですが』 「はい」 『お振込できますか?』 「あ、はい」 『明日お振込大丈夫でしょうか?』 「あの、少し待っていただきたいんですけど」 『はい?』 穏やかな口調から一転、いきなり声が裏返る。 『どういう意味ですか?』 「必ず来月末までに、今月と来月の家賃を払います」 『ダメです。今月分は今月末までに払ってください』 静果は額に汗が滲む。 「あの、今月末は無理なんですけど」 『ダメです。今月末です。振込がなければ鍵を取り替えますよ』 静果は目を丸くした。 「待ってください。それだけはやめてください!」 『なら今月末までにお願いします』 電話は切られた。 静果は絶望的な気持ちで、しばらく動けなかった。 借金相談の広告はよく見るが、家賃を払えないという相談窓口は聞いたことがない。 金がなければ一人暮らしをする資格はない。それが世間の常識だろう。 静果は思った。自分のように上京してきた人間はおいそれと帰れない。 上京といっても東京にはとても住めないから関東だが。 「どうしよう…」 彼女は暗い気持ちでシャワーを浴びた。明日も早い。とりあえず寝るしかない。 眠れなかった。 翌日。 仕事を終えて帰宅。日課のようにブログを確認。メッセージなし。コメントなし。 ケータイ小説サイトを見た。感想なし。レビューなし。読者も増えていない。 「はあ…」 いきなり出版社からスカウトされるか、サイトから書籍化の話をされるか、あるいはテレビ局からドラマ化の話が来るか。 静果は妄想を巡らせたが、そんな話は夢のまた夢。奇跡だ。 アクセス数も増えていない。総合ランキングに載るなんて一度もない。自分のブログが7万位代だと知ったときは硬直した。 やはり賞に作品を出品するべきか。静果はあらゆる方法を考えた。 賞は落選しかしたことがない。 「審査員に見る目がなきゃ、あたしみたいな天才少女が埋もれちゃうのよね」 虚しくなったので自画自賛はやめた。 作品が面白い、つまらない以前の問題で、自分の作品が人に読まれることの大変さを、静果はネットで痛感した。 意気消沈はマイナス。作品に出てしまう。静果は気持ちを切り替えて、執筆に集中した。 「絶対にベストセラー作家になってみせる!」 静果は燃える瞳で書きまくった。だれの目に止まるかわからない。 負けたくない。諦めた瞬間に終わる。今は無名の素人だから。 自分が作家にならなくても、だれも困らない。 「あたしは困る…」 前へ |次へ |
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