《MUMEI》 和解と決裂静果は早歩きでバス停に向かう。 「静果チャン待ってくれ。誤解だよ。二度と女優なんて言わないから」 「ついて来ないで!」 「頼むよ。君だけは頼む」 静果は無言。完全に怒っている。 「わかった。じゃあ、きょうは帰っていいから。急に気分は直らないだろう。また夜電話する。頼むから辞めないでくれ。この通り。お願いします」 頭を下げられると弱い。しかし女優が脚本家をからかうなんてあり得ない。 作家は本来格上だが謙虚に振る舞っているのに、あんな舐められ方をされたんでは、そんな現場には戻りたくない。 バス停にバスが来た。静果は火竜の顔を見ずにバスに乗り込んだ。 昼食は外で済ませ、アパートへ向かった。結局また派遣バイトの日々に戻るのか。 携帯電話で派遣の事務所に連絡する。 「お疲れ様です西枝です」 『お疲れ様です』 「明日働けるんですけど」 『明日、明日は一杯なんで、夜もう一度かけてください』 「…わかりました」 キャンセル待ちだ。キャンセルが出なければ仕事はない。静果はため息を吐いた。 アパートに到着。何か疲れた。シャワーを浴びて昼寝したい。そう思い、鍵を差した。 「あれ?」 もう一度差す。違和感がある。彼女はノブを引っ張った。開かない。一気に蒼白になった。 「ヤダ、どうしよう…」 膝が震えた。本当に鍵を取り替えられてしまった。 電話。 静果は恐る恐る携帯電話を開いた。火竜からだ。 「もしもし」 『夜まで待てなかった。心配で。本気で謝るから許してほしい』 静果は、しっとりとした声で聞いた。 「火竜さんて、いい人ですか?」 『見ればわかんじゃん。メチャクチャ優しいよ』 「…火竜さんて、ヤクザじゃないですよね?」 『ハハハ。見ればわかんじゃん。どっから見ても紳士だろ』 静果もつられて笑みを浮かべた。 「火竜さん。ご相談に乗ってほしいことがあるんですけど」 不動産屋が閉店する直前に、黒いスーツ姿の二人の男が入ってきた。 「いらっしゃいませ」 若いほうは無表情で護衛のように立っている。もう一人は黒いサングラスに白のマフラー。夏には不似合いな格好だ。 「どういったご用件でしょうか?」 キリッと凛々しい男性社員が応対した。仕事柄ヤクザもんにも怯まない。 「委任状だ」 火竜はデスクに紙を放る。 「…本人はなぜ来れないんですか?」 「病院で点滴打ってる。かわいそうに相当ショックだったようだ」 「で?」 火竜は6万円を出した。 「今受領書とおつりを持ってきます」 「高いな」 火竜の言葉は無視して、事務的処理を急ぐ。店内は緊張感に包まれ、女性社員は二人と目を合わせないようにした。 やがて受領書とおつりの7千円を皿の上に乗せて出した。火竜がそれを掴むと、男性社員が聞いた。 「で、これからも住む気はあるんですか?」 「随分高飛車だな?」火竜が凄む。 「約束を破ったのはそちらでしょ。自分は来ないであなた方のような人間を寄越して。謝りの電話もない。お金払えばいいって話じゃないんですよ!」 「ヤクザより怖いな」火竜が笑う。 「何ですって?」 睨み合い。塚田が涼しい顔で呟いた。 「ボス。こんな裕福な人間に何言ったって無駄ですよ」 「だれが裕福だ!」 男性社員がいきなり怒鳴ったので、火竜と塚田は面食らった。 「じゃあ、3ヶ月4ヶ月家賃を滞納しても黙ってるのが寛大って言うんですか?」 「落ち着けよ」 「4ヶ月もためたらどんなに安い家賃でも払えなくなるんです。だから1ヶ月の遅れで心を鬼にして本人に本気になってもらうのが慈悲なんですよ!」 平行線になる。火竜が引いた。 「中の家具は無事だろうな?」 「今後どうしたいんですか?」 「ここまでもつれたら仕方ない。出ていく方向で」 「そうですか」 二人は店を出た。 「あんなに熱く反撃されるとは計算外だったな」 「はい」 「彼女のアパート探してあげないと」 前へ |次へ |
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