《MUMEI》

 柔らかな布の感触に、高岡はゆるりと眼を覚ましていた
見慣れた自分の部屋、何事もない平穏
今までの事は全て夢だったのかと辺りを見回し始める
「……居ない」
目の前に広がるのは日常
あの二人の姿は何処にもなく、居た形跡すら残されていない
「……黙って居なくなることないのに」
何故か、無性に寂しさを覚え
だがどうする事も出来る訳もなく
高岡はベッドから降りるとカーテンを開いた
差しこんでくる朝陽に、今が朝なのだと理解する
「……学校、行かなきゃ」
自身が居るのが(日常)の中ならば
高岡は学生らしく学校へ行くのが当然で
身支度を整え下へと降りた
「お早う。お父さん、お母さん」
食事の支度をする母親、新聞を片手にコーヒーを飲む父親
ごく普通の朝の日常
「お早う、蒼。今日は随分と早いのね。朝ごはんは?」
「いい」
母親の言葉をやんわりと断って高岡は鞄片手に踵を返す
「もう、出掛けるのか?」
早すぎる時間に出ようとする高岡に父親が問う
「うん。ちょっとその辺ぶらつきながら行こうと思って。じゃ、行ってきます」
両親に見送られ家を後に
学校までの遠くない道のりをゆっくりと歩く
一の辻、二の辻、三の辻と通り
静けさしかない其処に高岡は何故か物足りなさを感じる
「……三成の、ばか」
黙って居なくなることはないのに、とまた一人言にぼやくと進む脚を速めた
「蒼、おはよ」
そのすぐ後、背後から肩が叩かれる
振りかえってみれば、そこには遠野が居て
お早う、と挨拶を交わすと並んで歩き始めた
「……何か、色々な事が一度に在った感じだね」
前を見据えたまま、遠野の徐ろな言葉
高岡は唯頷いて返し、遠野へと苦笑を向けた
「巻き込んじゃって、ごめんね。由紀」
「蒼……」
「でも、もう大丈夫。全部、終わったから」
大丈夫を繰り返す高岡に
遠野は肩を僅かに揺らしながら頷いた
「なら、もういっか」
「由紀?」
「終わったんなら、もういい。忘れよ」
向けられた遠野の笑みに、高岡も頷いた
忘れてしまえば、ソレで終わり
唯、今まで通りの生活に戻るだけの事
喜ばしい事の筈なのに、どうしてか喜べない自身に
段々と苛立ちばかりが募っていく
「……ごめん、由紀。私、先に行く」
「蒼?」
「ごめん。じゃ、学校でね」
一言詫びて、高岡は走り出していた
あれ以上話してしまえば、言い出してしまいそうだった
寂しい、会いたいと
「……しっかりしろ!自分」
いつの間にか自身の内に住み着いてしまった感情に
たがそれを忘れてしまおうと
高岡は自身の頬を平手打つとまた走りだした
考える事をしない様全力疾走で
校門へと到着した頃にはすっかり息が切れてしまっていた
「……迷わず、来れたか?」
乱れてしまった息を整えようと深呼吸を繰り返す高岡の背後
聞き覚えのある声が聞こえ、辺りが僅かにざわめく事を始める
まさか、と半信半疑で振り返ったその先には
五月雨を肩に乗せた、和装ではない時雨の姿があった
初めて見る普段着姿の時雨を呆然と眺め、暫く後
高岡の眼に、涙が滲みだす
「何で、此処にいるのよ」
涙を流しながらも言葉は強気で
相変わらずの高岡に、時雨は変わらない苦笑を浮かべながら
高岡の耳元へと唇を寄せる
「……標糸を守るのが、俺の役目だからな」
だから戻って来たのだと、時雨は徐に手を出して見せる
その指先から伸びる銀糸
伸びた先は高岡の指へと絡んでいて
はっきりと見る事が出来た縁の糸に
高岡の涙腺が完全に崩壊する
彼が居なくなってしまった事が予想以上に寂しかったのだと今自覚しながら
「……だったら、ずっと居なさいよ。また居なくなったりしたら、殴り倒すから」
またしても強気な高岡の言葉に時雨もまた苦笑を浮かべる
そんな彼の様に、高岡の服の袖で涙を拭うと
満面の笑みを浮かべて向けたのだった……

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