《MUMEI》
夏希
うだるような暑さだ。この猛暑の中、外で働く人も大変だが、倉庫の中もまたサウナのようだ。
冨田夏希は、静果と同じ派遣会社で働いていた。
「おはようございます!」
「おはよう」
Tシャツにジーパン。短い黒髪がよく似合う。強気な性格を表す目。彼女はすました顔でガムテープを手にした。
「夏希チャン、7番の箱をたくさん作って」
「はい」
夏希は静果と同じ二十歳。よく食事したり、遊びに行くほど仲が良い。
静果は作家になるのが夢だが、夏希は女優を目指していた。
高く積まれたダンボールを一束下ろし、紐をカッターで切って捨てようとしたが、ゴミ箱が見当たらない。
夏希は近くにいた社員に聞いた。
「紐を捨てるゴミ箱はありますか?」
「今持ってくるから床に捨てて」
「はい」
夏希は紐を結わいて床に捨てると、ダンボールを折って底になる部分にガムテープを貼った。
バン!
凄い音とともにゴミ箱らしき箱が滑ってきた。夏希は口を開けたまま前を見る。ヘルメットをかぶった見知らぬ男が睨んでいた。
「おい貴様!」
指を差された。夏希は思わず後ろを振り向いたが壁しかない。ポカンとした顔でまたヘルメットを見た。
「お前だお前!」
「はい」
「ウチの会社の床はゴミ箱か!」
夏希は目線を先ほどの社員に移した。そそくさとどこかへ逃げていく。
「どこ見てんだ貴様に話してんだ!」
「はあ…」
「わからないなら聞けよ知ったかぶってねえでよ!」
怒鳴るだけ怒鳴ると、ヘルメット男もどこかへ行ってしまった。
夏希は紐をゴミ箱に捨てると、作業を再開した。
(何威張ってんだあのバカ)
おそらく社内では泣く子も黙る怖いキャラで通っているのだろうが、派遣の夏希から見たら、威張る幹部など、ただの終わってるオジサンでしかない。
心の底から軽蔑し、逆にかわいそうな人間にも思えた。
「バカは死んでも治らない」
思わず口に出して呟く。段々頭に来た。
「バカにつける薬はない」
影響力のある人間が発言しないから、沈黙しているから、あのような傲慢な人間が野放しになっているのだ。
「まっ、バカを相手にするとこっちまでバカになっちゃうから」
またヘルメットが来た。ほかの社員がピリピリと緊張している。
夏希の表情が曇った。世の中間違っている。厳しいとアホの区別がついていない。
「おいそこ、何ウロウロしてんだ!」
「いえ、台車がなくて…」
「台車あ?」
夏希は呆れた。だれかれ構わず怒鳴っている。
「頼むから死んでくれ」夏希はポツリと呟いた。
夏希も一人暮らし。アパートに帰ると、静果に電話した。
「静果、久々頭来たよ。あともうちょいでハイキックが火を噴いたね」
『アハハハ』
「笑いごとじゃないよ」
静果はベッドに腰をかけて通話していた。夏希は綺麗好きで、自分はもちろん友達にもベッドにはすわらせない。
風呂上がりなのか濡れた髪をタオルで拭きながら、イスにすわって喋っていた。
「静果、あの現場はやめたほうがいいよ」
『あ、うん…』
静果の歯切れが悪い。
「そういえば静果さあ、最近会わないね。固定現場でも入ったの?」
『違うよ』
「まさか辞めてないよね?」
静果は少しためらったが、話した。
『実はね…』
「辞めちゃったの。静果も一人暮らしでしょ。大丈夫なの?」
生活を心配してくれている。嬉しい。唯一の親友かもしれない。
静果はうっとりした表情で囁いた。
『夏希。あたし、夢叶ったのよ』
「夢?」
『あたしの小説を認めてくれた人がいてね。今、その人が経営する動画制作会社で働いてるの』
「動画って、詐欺じゃないの?」夏希は真剣な顔だ。
『最初は詐欺だと思ったけど、違ったの。あたしの書いた作品が、すでにドラマ化されたの。動画だけど』
一瞬芽生えた嫉妬心を、夏希はかき消した。
「凄いじゃん静果。おめでとう」
『ありがとう!』
静果は笑顔がこぼれた。

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