《MUMEI》 マジギレ静果は迷ったが、思いきって言ってみた。 『夏希、怒っちゃダメだよ』 「何よ、怖い話?」夏希が笑う。 『夏希、女優、やってみない?』 複雑な感情が胸の中で暴れた。夏希は無表情で答えた。 「動画は、ちょっと」 『なぜ?』 「あたしは、テレビや映画に出たいから。動画に出て、それがマイナスに働く場合だってあるよ」 『そっか。夏希にはこだわりがあるんだね。ゴメン』 「何謝ってるの。誘ってくれて凄く嬉しいよ」 悪い話ではない。親友といっても人脈。人脈も実力のうち。一方的に拾われるわけではない。 「ちなみに静果はいくらもらってるの?」 『25万だよ』 (25万!) 夏希は胸の鼓動が高鳴る。 「ふうん。そんなにもらってるんだ」 『社長もスタッフのみんなも優しいよ』 弾む声。歓喜の笑顔が浮かぶようだ。何を葛藤しているのか、夏希は自分でもわからなかった。 『気が変わったら言って夏希。社長に話すから』 「わかった」 電話を切った。明日も早い。同じ現場だ。あのヘルメットの顔が浮かんできた。ストレスが溜まる。 翌日。 倉庫の2階で朝礼をし、4階で仕事だ。 倉庫の天井は高い。つまり、階段も4階は8階くらいの段数を上がる。 皆仕事する前にへばりそうだ。 ヘルメットが階段を上がっているのを見たことがない。常に貨物用エレベーターで移動しているからだ。 4階に到着し、またひたすら箱作りだ。 「きょうは忙しいぞ、さっさとやれよ!」 ヘルメットがあちこちで怒鳴りまくっている。しかしお気に入りの若い主婦パートとは談笑。最悪のパターンだ。 「階段を転落しろっつーの」 暑いだけなら頑張るが、えこひいきはやる気を奪う。夏希はムッとしながら箱を作っては重ねていった。 「遅い遅い。もっと早く作れ!」 夏希は返事をせずに箱作りに専念する。 「おい貴様!」 貴様という名前に改名した覚えはない。夏希は無言のまま箱を作り続けた。 「遅いって言ってんだよ。さっさ、さっさとやるんだよ!」 ヘルメットは夏希のガムテープを奪い取ろうとしたが、夏希は腕を振り払う。男は焦った。 周囲は緊迫。作業の手を止めて事態を見守っている。 「おい!」 「はっ?」 夏希の軽蔑の眼に、ヘルメットは激怒した。 「箱一つ作るのにそんなに時間かかっちゃ困るんだよ!」 「テメーが邪魔してんだろうが!」 夏希が声を張り上げた。周囲の社員やパートは青ざめた。 「テメーとは何だ!」 「テメーで気に入らなかったらヘルメットバカだ!」 開いた口が塞がらない。男は慌てた。 「テメーのやってることはセクハラ、パワハラ、脅迫なんだよ。今すぐ刑事告訴するからな。覚えてろ!」 夏希はガムテープを放り投げると、箱を蹴っ飛ばした。 「待て!」 「待たねえよ。警察だけじゃない。強面の労働事件のプロ呼んで、貴様を詰問するからな。しどろもどろの醜態晒してテメーがただのバカだとわからせてやるよ!」 ヘルメットは怯えた。 「相手が悪かったな。女だと思って派遣だと思ってバカにしやがって。心臓が口から飛び出るまでとことん追い込みかけるからな。テメーがいなくなっても哀しむ人はいないだろう。喜ぶ人は数知らねえだろうけどなバーカ!」 何も言い返せないヘルメットをひと睨みすると、夏希は倉庫のドアを開けて階段を下りていった。 荷物を持ってとりあえず外へ。 生活があるから皆耐えている。悔しい思いをしている人はゴマンといるだろう。 夏希は唇を噛んで涙をこらえ、携帯電話を取り出した。 「静果?」 『あ、夏希』 「今話せる?」 『大丈夫だよ』 明るい友好的な声。夏希は空を仰いだ。 「女優の件、よろしくお願いします」 『何敬語になってんの。やめてよ』 静果の快活な笑い声。彼女には何の打算もない。あるのは友情と優しさだけだ。 「静果、ありがとう」 『何言ってんの。変だよ』 「静果…」 前へ |次へ |
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