《MUMEI》
女スパイ・静果
早朝の港。
一台の車の中で、男と女が言葉を交わす。
運転席にいるサングラスをかけた男は、ボスの火竜。
「静果。今度の任務は今までとは違うぞ」
助手席にすわっている髪の長い美少女は、静果。
「任せて」
わざとみすぼらしい服装をしている。破けたジーパンに、汚れたTシャツ。裸足に履き疲れたスニーカー。
それでも彼女の魅力が損なわれることはない。
「何しろ相手は海賊。荒っぽい連中だ。数も多い。バレたらまず無事では済まない」
「ボス。あたしが今までにしくじったことがあって?」
静果は寂しく笑う。火竜はサングラスをはずすと、彼女を見つめた。
「万が一のことがあったら無理はするな。殺されはしない。拷問される前に吐け」
静果は笑みを浮かべて聞いていたが、キッパリと言った。
「心配してくれて嬉しいです。でもボス。闘う前に負けたときのことを考えていたら、負けますよ」
そう言うと静果は、勢いよく車から出た。
「待て静果!」
静果は車内を見る。長い髪が風に踊る。
「一人じゃないぞ。命の危険が迫ったときは、夏希が助ける」
「必要ないわ」
静果は振り切るように駆けていった。
額に汗を滲ませた火竜は、すぐに夏希と交信した。
「夏希、聞こえるか?」
『はい夏希です』
「静果を頼む」
『大丈夫です。ご心配なく』
静果はゆっくり歩いて、海に浮かぶ小舟に向かった。
彼女の任務は、海賊のアジトに潜入し、盗聴器を仕掛けてくる。
仕掛け終わったら脱出。これで海賊の動きを掴み、一網打尽にできる。
海賊の頭は女。ハイディという娘を幼いときに見失った。そのハイディが約18年ぶりに見つかった。秘密警察がこしらえた嘘の情報だ。
すでに頭とは電話で話し、きょう、頭の子分が少人数で迎えに来るという約束を交わした。
静果はハイディになりすまし、目印の赤い小旗を探した。あった。小船にはいかにも海賊という荒くれ男が数人見える。
静果は緊張しながら歩み寄った。
「ハイ」
「お嬢さんですか?」
「そうよ」
男たちは顔を見合わせると、聞いた。
「合い言葉は?」
静果は目を閉じた。合い言葉は、約5秒間目を閉じる、だった。
疑われることもなく舟に乗り込んだ。覚悟を決めるしかない。
単身で海賊に囲まれるというのはスリル満点だ。しくじれば破滅という危険に自分の身を置くというのも、なかなか経験できることではない。
舟はアジトへと入っていく。大勢の海賊たちが好奇の目で見ながらも最敬礼。
静果は毅然とした態度を取っていた。何しろお頭の娘。王女のようなものだ。
すぐに広場へと連れて行かれた。休む間もなくご対面だ。
静果はふと思った。いくら18年ぶりでも、母親の勘で見抜かれはしないかと。
今さらそんな心配をしても遅い。命懸けの名演技をしなくては。
やがて豪華な金色の衣装に身を包んだ中年の女が現れた。
歓声が湧いた。海賊の数は想像以上に多い。
お頭は静果をじっと見つめると、微笑みかけた。
「ハイディ?」
「母上さま」
母娘は抱き合った。18年ぶりの再会だが、お頭は泣かなかった。
「ハイディ。何だいその格好は。体を清めてからドレスに着替えなさい。美味しいご馳走を用意しておくよ」
「母上さま」
お頭は数人を呼んだ。
「お前たち。この子をバスルームに案内しなさい」
「はっ!」
敵陣で入浴は緊張する。全裸になるのは、やはり危険だからだ。
静果は脱衣所で服を全部脱ぎ、豪勢な湯船につかった。
「ふう…」
さっさと任務を遂行し、ここから脱出しようと考えていると、激しい靴音がバスルームに近づいてきた。
(何ごと?)
静果が警戒する。バスルームのドアは荒々しく開けられ、武装した数人の海賊が入ってきた。
「何だ貴様たち!」静果は両腕で胸を隠した。
「お嬢さまには嫌疑がかけられています」
「嫌疑?」
「偽物だと」
かなりまずい展開だ。静果の顔が赤い。

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