《MUMEI》 お父さんは豆腐職人として、若い頃じいちゃんに弟子入りした。そこで、じいちゃんの娘……つまり、わたしのお母さんといい仲になり、婿養子として秋元家に迎えられたと、昔、お母さんが話してくれた。 二人が結婚して、数年が経ち、わたしが生まれた。 初めての子供が娘だということで、お父さんはすごく喜んだそうだ。 『とっても真面目で無口なひとでね〜、あまり笑うひとじゃなかったんだけど、アンタの寝顔を眺めてニヤニヤ笑うのよ〜。つい、気持ち悪いって言っちゃった』 そうやってお父さんのことを話すお母さんの顔は、どんなときよりも優しかった。 でも…………。 わたしは、居間の奥に置いてある仏壇に目を遣った。 綺麗な菊の花と、美味しそうな果物が供えられている。 −−−そう。 お父さんは、 わたしが物心つくまえに、 交通事故で、突然死んでしまったのだ。 じいちゃんはひっそりと呟いた。 「店のことを考えたら、高いテナント料を払っても、そっちの方が儲かるのは俺にだってわかる……でも」 …………ここが、好きなんだ。 ボソッと呟いたその言葉は、 わたしの胸に重く響いた。 わたしは、ほほ笑む。 「わたしも、じいちゃんと同じ……この商店街が、好きだよ」 …………わたしは生まれてから今までずっと、ここで育った。 商店街のみんなは優しくて、暖かくて、ホントの家族みたいに、わたしのことを可愛がってくれた。 学校から帰ると、じいちゃんとお母さんが店番をしていて、わたしを笑顔で迎えてくれる。 そんな、他愛ない毎日が、 とても幸せで、 ここを離れるなんて、 想像も、出来ない−−−−。 わたしの言葉に、じいちゃんはなにも言わなかった。生返事すらしなかった。 ただ肩を少しだけ落とし、新聞を掴む皺くちゃの指を、小さく震わせていた。 わたしは、それに気づかないフリをして、柔らかく言った。 「ペンキ、買ってくる。シャッター綺麗にしないとね」 じいちゃんを居間に残し、わたしは自分の部屋へ向かった。 . 前へ |次へ |
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