《MUMEI》
序章:電話
 その日は、特別寒い日であった。
1988年12月某日、坂中 榛伊(サカナカ ハルイ)は勤務先の署内で書類を書かされていた。
 管轄内で9月に起きた悲惨な事件も、結局は県警が指揮を取り、11月には有耶無耶な終焉を迎え、表向き平和が続いている。
所轄の人間から不満が出たのだが、本部の意向に逆らえる者もおらず、燻ったままの不満を勤務で発散させている人間が多くいた。
そんな中、榛伊は不満を露にすることなく淡々と仕事をこなしていく。
榛伊とて不満がない訳ではない。
ただ感情が表に出ない体質なのだ。
 ボールペンを走らせる音が部屋中に響く。
今部屋に残っているのは、榛伊と先輩の神田(カンダ)のみである。
神田は40歳を迎えるベテラン刑事で、署長の同僚としても署内では一目置かれる存在だ。
白髪が目立ちつつある短な黒髪を弄ることなく流している。
 男気溢れる彼は、やはり9月の事件に不満を抱いているようで、何かと愚痴を零しているらしい。
榛伊も何度か付き合わされた。
神田の言い分は尤もであり、榛伊も賛同出来る。
しかし、人間としての良心が否定する。
9月に起きた事件は、人道に反していた。

前へ |次へ

作品目次へ
ケータイ小説検索へ
新規作家登録へ
便利サイト検索へ

携帯小説の
(C)無銘文庫