《MUMEI》 . 疲れたので、ヒューを連れて家に帰ると、ひそやかな話し声が聞こえてきた。 ヒューと一緒に家に上がり、廊下から居間の中を覗くと、お母さんは受話器に向かって、本当に小さな声で囁いていた。 「…………お医者さまも、そうおっしゃって……はい、はい……そうなんです……先週末に退院して、あとは自宅で………」 だれかに、報告しているようだった。 話の内容は、だいたい察しがつく。 ……………わたしのことだ。 ヒューはお母さんの声に反応して、耳をピクピクと動かし、それからわたしを廊下に残して、タタタ…と軽やかに居間の中に入って行った。 お母さんは、突然ヒューが現れたことに驚き、顔をあげた。 その瞳が、わたしに向けられる。 わたしはなにも言わなかった。戸惑った表情を浮かべたお母さんの姿を、ただ、じっと見つめていた。 お母さんはわたしから目を逸らすと、受話器に向かって、「ごめんなさい、またお電話します……」と小声で呟き、慌ただしく電話を切った。 そうして、再びわたしに目をやる。 「お帰りなさい。早かったのね」 ぎこちない笑顔を浮かべた。 わたしは瞬く。 「外、暑かったから」 それだけ言うと、お母さんは「そう…」と答える。 そしてまた、ぎこちなく言う。 「アイスティー、飲まない?お隣りから、良い紅茶をいただいたの」 「すぐに用意するわね」と言いながら、お母さんはすでに、キッチンへ移動する。 なにかしていなければ、落ち着かないと言わんばかりに。 わたしはお母さんを目で追いながら、はっきり言った。 「電話、かけ直したら?」 お母さんの手が止まる。 大きく見開いた目を、わたしへ向けた。 悲しそうな、瞳だった。 . 前へ |次へ |
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