《MUMEI》
序章:電話
その珈琲は、ストーブだけでは暖まり切らない室内に何時間も居座っている榛伊の体を温めるには十分な役割を果たした。
「おい、荻原。手前、俺が役立たずだって言いてぇのか?」
「当たり前でしょう? 勝手な行動を取って上司に尻拭いさせる君など、役立たずで充分です」
いきり立つ神田を一瞥し荻原が微笑した。
物腰や口調は柔らかいのに、何故だか毒舌に聞こえるのは相手が神田だからだ。
一見優男に見える荻原も、同僚の神田には容赦しない。
それだけ、気を許しているのだろう。
「悪いとは思ってる。けどな、お前。そのために署長なんて面倒なもんになったんだろうが」
「それは否定しませんが。あまり胡座を掻かないで貰いたいものですねえ」
時々、二人にしか伝わらない会話を繰り広げる。榛伊はその度に置いてきぼりだ。
 荻原が神田のデスクに近付いていく。
不貞腐れたように新しい煙草を取り出す神田の目の前に紙コップを散ら付かせて笑った。
「どうぞ、神田。暖まりますよ」
その顔が慈愛に満ちているようで、榛伊は二人から目を逸らす。
見たくないのだ。
愛に溢れる人間の姿など。
「あ? お前は飲まねぇの?」
怪訝な顔で神田が紙コップを受け取る。

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