《MUMEI》
一章:新学期
 小学生にとって、新しい学年になる新学期は特別である。
ダイニングに広がる珈琲の香りにさえ胸が躍る。
「新しい」で埋められた新学期に、自然と期待が募る。
それ故に、恐れも倍に膨れ上がってしまう。
 宇津井 知有(ウツイ チユウ)は、昔からその傾向が人一倍に強かった。
新学期が始まってから二日目の今日。
時刻は既に遅刻寸前。
急いでも間に合わない時間だ。
 保護者であり叔父の坂中 榛伊(サカナカ ハルイ)は傍観している。
沈黙が、オレには痛く感じられた。
手中のマグカップに目を落とす。
茶色い水面が弧を描いた。
中身はココアだ。
珈琲は苦くて、オレの味覚には合わない。
 榛伊が新聞を捲(めく)る音が、必要以上に大きく聞こえ、オレを焦らせる。
彼が時々、口に運ぶマグカップの中身はブラック珈琲だ。
オレが豆を挽いて沸かした最高作でもある。
インスタント珈琲を飲み飽きているであろう、愛しい叔父への配慮。
と言いたいところだが、単なる習慣で、時間がある時には、煎れてから学校に行くことにしている。
 榛伊が柱時計を窺う。
オレに視線が移った。
新聞をテーブルの上に置くと、遂に口を開く。
「チユ、遅れるぞ」

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