《MUMEI》
一章:手当て
「そう、彼も元気でやっているのね。少し安心したわ」
僅かに彼女の表情が翳ったように窺え、オレは何とも言えぬ不安を抱く。
時折、榛伊に対しても抱く想いだ。
好きだからこそ、失いたくないと思い、それ故に臆病になる。
もう二度と大切な者を手放したくはない、そんな懇願にも似た願いが、常にオレの中で燻っていた。
だからこそ、何も聞けなくなるのだ。
彼女の浮かない表情を前に、オレは頷くことしか出来なかった。
気分を入れ直すかのように彼女が息を吐き出す。
その顔は既に明るい。
「ごめんなさい。私ったら、まだ名乗ってなかったわね。倶利の母で、京と言うの。好きなように呼んで頂戴」
「あ、はい。……じゃあ、ミヤ小母さんって呼びたい、です」
予想通り、倶利の母だった女性は京(ミヤコ)と言った。
敬語とは呼べないが、精一杯の丁寧な言葉で希望を伝える。
彼女は了承したと首肯で答えてくれた。
そして、オレの持つ封筒に視線をやった後、真剣な面持ちで口を開いた。
「チユ君にお願いがあるの。聞いてくれる?」
今日は珍しい日だと思う。
頼まれるのは好きだ。
だが、現実としては頼み事を受ける機会など少ない。
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