《MUMEI》

.


俺は素直に感心していた。

あんなに遠くへ投げたボールを、ちゃんと見つけて取ってくる犬なんて、

ドラマの世界だけの話かと思っていたから。


ヒューの頭を撫で回しながら、彼女の顔を見て、興奮した口調で言う。


「どうやって教えたんですか!?」


彼女は俺の勢いに面食らったようで、すこし呆けた顔をした。


「特になにも教えたわけじゃないけど……」


その返事に、俺は驚く。


「すっげー!仕込みナシでキャッチボール出来るなんて、頭いいんだなぁ〜!?」


ひたすら感心していると、

彼女がクスリと笑った。


「ヒューは、『ゴールデンレトリバー』っていう種類の犬で、元々は猟犬だったの。
撃ち落とした獲物を、主人のところまで拾ってくるっていうガンドッグ………
だからきっと、うまれつきそういう習性があるのね。
小さい頃から、モノを取って来るのが好きだったから」


丁寧に説明をしてくれた。俺は、へぇっ!と声をあげる。それからヒューの顔を見た。


「すごいな、ヒューは!」


またグシャグシャと頭を撫で回した。
ヒューはとてもうれしそうだった。

俺はボールを持ち、ヒューに向かって、投げるぞ!と声をかけた。

すると、ヒューは顔を強張らせ、すぐさま俺から少し距離を取る。手に握られたボールを見つめるその漆黒の瞳は、真剣そのものだ。

俺は離れているヒューに向かって、大きな声で言った。


「今度はキャッチしろよ!バウンドはナシだ!!」


言い切ると、俺は勢いよく腕を振り、ボールを投げた。


ヒューは駆け出して、空を切るボール目掛けてジャンプする。

しかし、ボールはヒューの頭上を越えて、再び茂みの中へと吸い込まれてしまった。

着地したヒューは、慌てて茂みの中に入っていく。

その様子がどうにも滑稽に見えて、俺は笑った。


「ザンネン、失敗〜!」


俺が笑う、その傍らで、

彼女も微かに笑い声をあげた。

俺は笑顔で振り返る。

彼女は俺の視線に気づくと、





聖母のように、柔らかくほほ笑んだ。





不意に見せてくれた、



その顔を、



今日まで忘れたことがない−−−。





.

前へ |次へ


作品目次へ
感想掲示板へ
携帯小説検索(ランキング)へ
栞の一覧へ
この小説は無銘文庫を利用して執筆されています。無銘文庫は誰でも作家になれる無料の携帯・スマートフォン小説サイトです!
新規作家登録する

携帯小説の
無銘文庫