《MUMEI》 . 彼女の言葉の端々に、 なにか、ひっかかるものがあった。 けれど、 問いただすことは、出来なかった。 それを、知ってしまったら、 目の当たりにしてしまったら、 彼女は、 俺の前から、 消えてしまうんじゃないかって、 …………そう思えて、 仕方なかった−−−。 ヒューがまた、俺にタックルしてきた。 重心を下に構えて、しっかりと受け止める。 ヒューは俺の腕にじゃれつきながら、ゴロリと地べたに横になる。 真っ白なお腹を見せて、大人しく、俺に撫でられていた。 そんな俺たちを見て、彼女は柔らかく言った。 「すっかり懐いちゃったみたいね」 その声は、どこか、うれしそうだった。 彼女は「ねぇ」と呼びかける。俺はゆっくり顔をあげた。 きれいな笑顔が、俺の視界にうつる。 彼女は形のいい唇にほほ笑みを浮かべて、つづけた。 「頼んでも、いいかな?」 俺は、瞬く。なにを?と尋ね返した。 彼女は優しい表情のまま、囁いた。 「ヒューの、遊び相手になってくれる?」 …………遊び相手?? 彼女は首を少し、傾けた。短い髪の毛が、微かにフワリと揺れる。 「キミがヒマな時だけでいいの。今日みたいに、ヒューとキャッチボールしてくれたらなぁって」 俺は彼女の顔を見つめ返した。 冗談なのか、それとも本気なのか。 −−−真意が読めない。 俺は手にしているボールに視線を落とす。ボールはずいぶん使い古されているようで、所々黒ずんでいた。 −−−正直、迷う。 俺は高校3年で、最後の夏休みで、受験の為に予備校に通っている。 本来なら、こんな申し出は……まして、見知らぬひとからの頼みなど、断るべきだ。 …………けれど。 俺は顔をあげて、彼女を見た。彼女は相変わらず、優しくほほ笑んでいる。 俺はゆっくりと瞬いた。 「いいですよ」 彼女の瞳が、少し、輝いた。 それを確認してから、ただし……とつづける。 「……あなたの名前、教えてくれたら」 言い終えたあと、 俺たちの間に、夏のねっとりとした風が吹き抜けた−−−。 . 前へ |次へ |
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