《MUMEI》
記憶
あれは、5年前。

私と一樹が知り合ったのは、近所のペットショップだった。

猫や犬は、鳴いたり吠えたりするので鳴かないウサギにしようと決めていた。

真っ黒でおなかが白いあの子。

両手の平にちょこんと乗る位なあの子は、まるでおにぎりのように『ころん』と乗っかって悠々と口をもぐもぐさせていた。

「すいません、このウサギを下さい」
と店員に言ったその声が二重に重なった。振り返るとあたしの後ろに、体格のいい男が立っていた。

ぷっ。とあたしは、おかしくて吹き出した。こんながたいのいい男が、このうさぎを欲しがるなんて。

それが旦那、一樹との初めての出会いだった。

 付き合い初めて、『河瀬さん』ではなく、『里沙』と名前で呼ばれるのがこの上なく嬉しかった。

「好き」だとか「愛してる」なんていう言葉を口にしない人だった。
 だけど一樹と抱き合うときに何度も『里沙』と名前を繰り返す時、堪らなく愛を感じた。
そう確信するのが私の使命だった。

私は、一樹によって初めて救われた。

敵だらけだった世界が一変して、二人だけの砦を築いていける幸せ。

 奇跡だとすら思えた。

朝起きたら「おはよう」帰ってきたら「ただいま」という奇跡。

料理が上手に出来たときに「おいしいね」と優しく言われる奇跡。
 
 お布団を干した時「ポカポカで、気持ちいいね」と感謝される奇跡。

親が親でしかなく、友人が友人でしかなく、かといって自分自身を好きになれなかった私にとって、一樹は、唯一私が愛した初めての他人だった。

日常に起こる奇跡が私には眩く、幸せだった。私にも他人を愛することが出来るんだと背中合わせの布団の中で、涙ぐむ事もあった。


 世の中、里沙が思う程悪くない。少なくとも僕は、里沙の側にいると。
 

 

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