《MUMEI》

 鬱蒼と茂る森林の奥深く
その木々達にまるで覆い隠される様にその屋敷はあった
静けさしかない広いサロンに、心地のいい紅茶の香りが漂う
「……クラウス、お茶もう一杯」
感情少なく傍らへと従える男へとカップを差し出せば
その男 クラウス・ブルーネルは穏やかに笑んで向け、少女の差し出す空のカップに紅茶を注いでいく
「ありがと」
一言で礼を済ませると、少女はまた無感情に外を見やった
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
その視線が見やる方へとクラウスもまた向いてみれば
少女はカップを音もなく置くと外を指差した
「人の世がどうかされたのですか?」
「……わからない。でも、人の騒ぐ声がする」
「偵察には?」
「行ってもいいの?」
「勿論。但し、私をお供にして頂ければ、ですが」
満面の笑みを浮かべそうつけ足せば
少女は暫く間を開け、そしてクラウスへと手を差し出した
「もう、出かけられますか?」
白手袋のはめられたクラウスの手が少女の手を掬いあげ
手の甲へキスを一つ落とすとその手を引いた
少女の身体を横抱きに抱え上げるとそのままテラスへ
無機質な床を蹴りつけ宙に舞えば
眼下にヒトの街が見えた
「……相変わらず、汚い色」
下の景色を眺めながら、憂う様に呟くと
降りてくれと一言
クラウスはその言葉通り降下を始め
抱えていた少女を降ろしてやった
「何か、気になる事でも?」
前ばかり見据える少女の手を取りながらそう問うてみれば
少女は短く別にを返し、歩く事を始める
見渡せば、荒廃が進み砂地と化している人の世
その様を眺めながら更に歩く事をしていると
突然、ふわり花の香が漂う
「花の、香り?」
ソレを辿ってみれば、そこには露店の花屋があって
色とりどり様々な花が商品として並んでいた
「……ジゼルの花」
一通り眺め、見慣れた花を数輪見つける
まじまじ眺める少女に、露店の店主は微笑みながら
「その花、気にいったのかい?それは可愛い花だね」
自分も好きなのだと店主は笑う
少女は無表情のまま、花を店主へと返すとまた歩き始めて
店主へと軽く頭を下げて向けるとクラウスはその後を追った
「お嬢様」
先を歩いていく少女の腕を、引き留める様にクラウスは取って
少女の身を自らの方へと翻らせる
「気に、入らない」
「え?」
「ジゼルが人の世に咲くなんて、絶対おかしい」
「……そう、ですね。確かに妙だ」
その考えに同意してやれば
「調べられる?」
クラウスの顔を覗き込みながら柔らかな命令
その可愛らしい仕草に否を唱えられる筈は当然なく
口元に穏やかな笑みを浮かべ勿論を返した
ならば帰りましょう、と差し出される手
少女が手を取ったのを確認しその身を横抱きに
「戻るの?」
ふわり浮いた身体に少女が問うた
笑みはそのままにクラウスは頷く
「私の部屋にジゼルについて幾分かは資料がありますから」
取り敢えずはそこから探ってみるらしく
クラウスは早々に帰路に着いた
屋敷へと到着し、まず二人を出迎えたのは
咲き乱れるジゼルの花
風に煽られ花風と化すそれを暫く眺めそしてクラウスの自室へ
「……汚い」
入ってみれば、中は大量の書物が散乱していて
脚を降ろす隙間が最小限しかない
余りの汚さに、少女は呆れた様にクラウスを眺め見て
だが当の本人は全く気に掛ける事もなく中へ
本を蹴って散らしながら必要な文献を探し始める
探す事も途中
卓上に山積みされていた本がいきなりに崩れ、その中の一冊が少女の脚元へと落ちてきた
「これ……」
それを拾い上げてみれば、随分と古めかしい絵本
ソレに見覚えのあった少女は
クラウスへと出して向けてくる
「クラウス、これ……」
見せられたソレに、クラウスは穏やかに笑みを浮かべた
少女が幼かった頃によく読んで聞かせた物語
「まだ、持ってたの」
意外そうな少女だがその表情はどこか嬉しげで
クラウスは本を受け取ると椅子へと腰掛け、少女を手招くと膝の上へと座らせる
何事かと顔を見やる少女へ
クラウスもまた笑って向けると本を開いた
低く、聞くに心地のいい声が紡ぐ物語

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