《MUMEI》 . 百々子さんは、突然黙り込んだ。俺は少しだけ顔をあげ、彼女の様子を盗み見る。 切なげに瞳を揺らし、なにかを思い詰めるような顔をしていた。 腕を組んだまま、ピクリとも動かない彼女。 その姿はあまりに繊細で、頼りなくて、触れたらすぐにでも粉々に崩れてしまいそうだ、と思った。 「百々子さん??」 不安になって、俺は彼女を呼んだ。 百々子さんはハッとして俺の顔を見る。しかし、その目はどこかぼんやりしていた。 「どうか、しましたか??」 恐る恐る尋ねると、百々子さんは慌てたように首を振り、「なんでもない」と答えた。 そして、表情を引き締める。 「………とにかく、サボるなんてダメ。自分の将来に関わることなんだから」 年上らしく、俺に言い聞かせて彼女はゆっくり立ち上がった。そして、俺の方へ近寄る。 百々子さんのキレイな双眸が、目の前にある。 彼女は固い表情のまま、言う。 「約束の件は、もう忘れて。無理なお願いしてゴメンね。キミにはやるべき事があったのに」 そう言い切り、彼女はヒューを呼んだ。ヒューは小さく尻尾を振り、彼女の足元へ歩み寄る。 百々子さんは俺から目を逸らし、ヒューの頭を撫でた。 「ヒューと、遊んでくれて、ありがとう」 一言、呟く。 その声は、蝉の鳴き声に掻き消されるくらいに、小さく俺の耳に響いた。 彼女はヒューを連れて、俺に背を向けた。 だんだんと俺から離れていく背中を見つめていると、胸の中にどうしようもない感情が込み上げてきて、 −−−気がついたら、 叫んでいた。 「どーでもいいんだよ!」 百々子さんは俺の声に驚いたようだった。弾かれたように振り返る。 戸惑った眼差しを見つめながら、俺は堪えらず、言った。 「予備校なんて……勉強なんて、どーでもいいんだ。先の見えない将来のことなんて、今考えても、分からないじゃないか」 百々子さんはなにも答えなかった。俺はつづける。 「毎日がつまらなかった。うんざりしてた。いつもそうなんだ。夢中になれるモノなんか無かった。考えることも拒否してた」 言葉が、欲しい。 ここで黙ったら、窒息してしまう。 彼女に、なにか、言ってもらいたい。 けれど、百々子さんは黙ったまま、俺のことを見つめているだけだった。 「でも、ここで百々子さんに出会ってから、俺………」 俺は苦しくて苦しくて仕方なかった。だから、この胸に渦巻く思いをぶつけた。 「……俺、どうやったら百々子さんに、もう一度会えるかって、そればかり考えてた………」 百々子さんはやはりなにも言わず、ただゆっくりと瞬いた。 俺たちの間を、夏の風が、ひそやかに流れていった…………。 . 前へ |次へ |
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