《MUMEI》 . 男は俺からの返事を聞かないまま勝手に納得して、言った。 「そっか、そっかぁ!キミだったんだ!こいつ、彼女の犬なんだけど、彼女がさ、まえにちらっと話してくれたんだよね〜。近所に遊んでくれるひとがいるって」 その台詞に、 俺は衝撃を受ける。 …………『彼女』? 疑いようもなく、百々子さんのことだ。 彼女。 俺は頭の中で繰り返す。 −−−付き合ってるひと、いたんだ…………。 あれほどの美人だ。 そういう相手がいない筈がない。 男は俺の動揺に気づかないまま、つづけた。 「最近、俺が散歩してんだよね。良い運動になるよ」 最近、彼が散歩している。 つまりは、彼は百々子さんの家に通っているか、 もしくは、一緒に暮らしているのかもしれない。 ふと、まえに電話で百々子さんが言った言葉を思い出す。 −−−−知り合いがわたしを訪ねてきてくれるの………。 あのとき、 俺は尋ねた。 まえに、公園で一緒にいた男か、と。 彼女はなにも答えなかった。 −−−つまり、 そういうことなのだ。 男は自分の腕時計を見て、慌てはじめた。 「もーこんな時間か!!早く帰らないと」 彼はリードを引っ張りヒューを横につけると、俺に向かって朗らかに笑い、「それじゃ!」と言った。 去って行く彼の大きな背中を見つめながら、 「あの………」 と、呼び止めた。 男は不思議そうに振り返り、「なに?」と尋ねてくる。 −−−ホントに、百々子さんと付き合ってるんですか? 気をゆるせば、口にしてしまいそうだった。けれど、真実を確かめる勇気のない俺は、彼に口元を歪ませて、精一杯笑顔を作る。 「彼女さんに、よろしく……」 それだけ言うのがやっとだった。 男はにこやかに笑い、「伝えとく!」と答えてヒューを連れ立ち去った。 ヒューは名残惜しそうに何度も俺を振り返っていたが、俺は目を逸らした。 痛感したんだ。 俺は、もう必要ないって。 ヒューにも、 そして、百々子さんにも………。 俺はいたたまれなくてスーパーのビニール袋を、固く握りしめて、その場に立ち尽くしていた−−−。 . 前へ |次へ |
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