《MUMEI》 . わたしの心臓が、一度、大きく鳴った。 高鳴っていく自分の鼓動に、鎮まれ、鎮まれ、と心の中で呟いた。 不意に、父がわたしを振り返り、おかえり、と声をかけてきた。わたしは我にかえって、ただいま、と答える。 「お土産は?」 当然のように聞いてきた父に、わたしは、あるわけないでしょ、と、当然のように一蹴する。父はふて腐れたように、ケチ…とだけ呟いた。 その、やりとりのさなか、 そのひとが、ゆっくりと振りむいた。 わたしよりひとつ年上の、男のひと。 炎のような烈しさをふくんだ、するどい、眼差しだった。 8年前の、《あの日》を思わせる、つよい瞳に、おもわず息をのむ。 その、彼の唇が薄く、開いた。 「芽衣、休みだったの?」 わたしはゆっくり、瞬く。 声が、重なる。 −−…選べよ…。 そう、言った、声。 今となっては、もう、夢の痕のようで。 ふわふわと、頼りない、響き。 わたしは、もう一度、瞬いた。 「出来るだけ土日は休みたいって、言ってるから」 「サービス業なのに?」 「派遣の特権。給料安いのに、週末まで働きたくない」 淡々と答えると、彼はふっと目元に優しさを滲ませ、なまいき、と呟いた。 その顔を見て、わたしの心が、きゅっと縮む。その淡い痛みを、わたしは無視した。 . 前へ |次へ |
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