《MUMEI》

――むかしむかしのまたむかし
深い森に住んでいた魔王
その魔王は人を嫌い、蒼紫の美しい花に囲まれながら人里から離れて暮らしていた
従者一人すら引き連れず深い深い森の中に館を建てて
ある日、その魔王の館の庭一面に咲いていた蒼紫の花が大量に消えて失せた――
「それは、ケルベロスによって焼き尽くされてしまったから」
クラウスが読み上げるより先に
やはり話を覚えているのか読み上げてしまい
クラウスは苦笑を浮かべる
「やっぱり、覚えていましたか」
「……当然よ。だって、その本は私の大好きだったものだもの」
だから幼い頃、呼んでくれと何度もねだった
この話が現実になってしまったならば怖ろしいとおもいながらも
話の展開に、子供ながらに胸を高鳴らせていたのだ
「……恐かったけど、綺麗な話だったわよね」
思い出し、クラウスの胸板に自らの重さを傾けた
次の瞬間
突然に部屋の戸が強く連打される
「ジ、ジゼル様!大変でございます!!」
何か異変でも起きたのか
血相を変えているだろうその声に
少女・ジゼルはクラウスに戸を開く様視線にて促した
開けば、転ぶ勢いで飛び込んできて
その異常な様に何用かを問う
「……どうかしたの?」
ジゼルの、無感情な声
相手はだが益々慌てながら
「そ、それが!ジゼルの花の園に魔物が!花を食い荒らしているんです!」
「私の花を?」
「は、はい。このままでは花が全て食い尽くされてしまいます!」
早くしなければ、との兵士にジゼルが何を言うより先にクラウスが立つ
「お嬢様。私に屋敷を出る許可を、戴けませんか?」
「……行く、つもり?」
「はい。騒ぎをこのままにはしておけないでしょう。だから」
彼女の手を掬いあげ、甲へと口付ける
ジゼルが感情少なに頷いたのを確認し、そして外へ
兵士の案内でそこへと向かえば
花畑の中央、四脚の魔獣の姿が在った
花を未だ食い荒らすその姿に
クラウスは見覚えがあった
「……ケルベロス」
魔界と人界を隔てる扉を守る門番
その任を放棄する事などある筈がないのに
今、目の前のソレは
本能のままに花を喰らい、理性の欠片も見受ける事ができない
「クラウスさん、アレは一体……」
兵士の方も驚きを隠せない様子で
クラウスは取り敢えず後ろに下がる様兵士に言って聞かせる
堅苦しい上着を花の上へと放り出すと
ゆるり歩いて魔獣の前へ
「危険です!クラウスさん」
魔獣の咆哮が辺りに響き
瞬間素早い動きでクラウスとの間合いを詰めてきた
だがクラウスは避ける様子を見せる事はなく
魔獣を上回る速さで脚を蹴って回した
蹴りつけられた弾みで魔獣の身体は地面へと叩きつけられて
散々痛めつけられた魔獣が無様にも逃げる様にそのばから去っていった
「た、助かった……」
腰を抜かし、座り込んでしまった兵士
クラウスは手を差し出し立たせてやると、獣の追う為土を蹴りつけ飛んで上がる
「ク、クラウスさん!?」
下からの兵士の声に
視線をそちらへと向けてやりながら
「私はもう少し奥へ行ってみます。すいませんが、お嬢様に少し遅くなると、伝言を頼めますか?」
自身の伝言を口早に伝え、飛んで更に奥へ
益々深くなっていく森
木々の擦れる音ばかりがやけに耳につく
気配を探ろうと四方をクラウスは見回せば
その正面、枯れた茂みの奥から僅かに気配を感じた
「誰か、いるのか?」
警戒に口調もぞんざいなソレに変わり
身を構えれば、すぐその姿は現れる
低く呻きながらクラウスを威嚇するケルベロス
まだ懲りていない様子のそれに溜息を付きながら身構えれば
茂みの奥が、また動く
「ケルベロス、下がれ」
現れたのは一人の男
まるで飼い犬の様にケルベロスを従え
ゆるり歩きながらクラウスの前へ
それ以上何を言う事も相手はせず
ただ無言のままクラウスと対峙するばかりだった
「……帰るぞ」
暫くそのまま
男は獣を従えたまま踵を返すと、また森の奥へ
一体何者なのか
立ち去っていく背を睨みつけながら、クラウスもまた踵を返した
取り敢えず報告を、と帰路へ着く
ゆるり歩いて帰りながら
あの男は何だったのかと訝しみ、クラウスは表情を小難しく歪めたのだった……

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