《MUMEI》 . すみません、とまた謝ると、矢代さんは、そっか……とため息混じりに呟いた。 「だれにでも、気持ちの浮き沈みはあるよね。わたしだってそう。すごい辛いことがあるのに、なんで笑わなきゃいけないんだろうって、思う」 その口ぶりに、どこかひっかかるものを感じた。 わたしが顔をあげると、今度は矢代が俯いていた。 その伏し目がちな瞳に、深い悲しみがうつし出されていた。 わたしがかける言葉を探していると、矢代さんはパッと顔をあげて、なーんてね!とおどけて言った。 「ズルズル引きずってたら、立ち直るものも、立ち直れないから、ここはビシッと気持ちを入れ替えましょう!」 その台詞は、確かにわたしに向けられていたものだったけれど、なぜか、矢代さんが自分自身に言い聞かせているように思えて、仕方なかった。 彼女は笑顔を浮かべて、戻りましょうか、とわたしに声をかけた。頷き返すと、彼女はニッコリ微笑んで、直ぐさま踵を返し、売場へと向かい始めた。 歩き出した彼女の背中を見つめながら、みんな、なにかに傷ついて、それでも必死に生きているんだ、と思った。 …………わたしも、 動かなければ。 歩き始めなければ。 頭では、そう、思うのだけれど、 なぜだろうか。 前へ、一歩踏み出す、その勇気が、まだ、今は足りない気がした。 だって、 尚は、もう、いない。 彼は、わたしではなくて、わたしの知らないどこかの『オンナ』を、選んだのだ。 尚を失った今、わたしはどうやって歩けばいいのか、わからなかった。 わたしは、ぼんやりと立ち尽くしていた。 その、目の前に広がる風景の色が、鮮やかさを失ったように、感じていた。 . 前へ |次へ |
作品目次へ 感想掲示板へ 携帯小説検索(ランキング)へ 栞の一覧へ この小説は無銘文庫を利用して執筆されています。無銘文庫は誰でも作家になれる無料の携帯・スマートフォン小説サイトです! 新規作家登録する 無銘文庫 |