《MUMEI》 「禁煙です。」 怒りに任せて、煙草の先端を折り曲げてしまう。 「此処では俺がルールだ。」 伊武監督はかなりの俺様気質だった。 「貴方こそ、撮影中にぶっ倒れる。監督に亡くなられてはどうしようもないですからね。」 「……俺じゃなくても撮影は出来るさ。小暮君も気付いているだろう?見えない力でつき動かされていることに……これは妻の脚本なんだ。」 伊武監督に生活感を感じられなかったので、結婚していたことに驚いた。 「結婚なさっていたんですね。」 「太古の昔だ。これは妻の遺作なんだ。」 奥様が亡くなられたのか……。 「死んだ奥様の意志で作っていると?」 「いや、本当は永遠に私だけのものにしたかった。 しかし約束だった。最高の水準で映画ではない生を映すと。最高の脚本に見合う最高の作品にすると約束した。」 まるで生き急ぐように彼は言う。 「奥様と?」 「高遠光と。」 監督と光の、この作品に対する思いをそこで初めて知った。 この作品は監督と光の約束だったのだ。 光が子役として伊武監督の映画のオーディションで選ばれたのは、監督の奥さんがきっかけだった。 伊武監督は父も偉大な映画監督で、学生の頃に数々の賞を総なめし才能を認められる一方で七光り等とも叩かれていた。 卒業後はあまり目立つような評価も得られず、初めて光が主演した映画が当たらなかったら一般企業に就職するつもりだったらしい。 奥さんは脚本家であり、伊武監督の才能を信じて支え続けていた。 当たった映画では、光は親が分からず探しに行く子供で、会う人を父親だと思い込んでしまう役だ。 光の家庭事情も奥さんは気付いたらしい。 光の母親の相談にも乗ってくれていたという。 光が十歳の時、監督の奥さんが亡くなった。 光が千寿から離れられたのもこのときだ。 「光は十歳のとき、妻の脚本を盗んだんだよ。」 その経緯を話してくれた。 千寿との騒動の後、光は睦美さんとの関係はより気まずくなっていた、監督の奥さんが仲裁してくれていればまだなんとかなっていたのかもしれない。 とにかく、監督は妻を亡くし、光は愛に飢えていた。 当時を監督が何かのドキュメンタリーのように語り始める。 妻の葬式の日が過ぎてからは、意識が朦朧としていた。 死に近しい感覚、 森へ、 行こうと思った。 この、脚本に森へ行くシーンがある。 都会に森はないと気付いたのは、光が深夜に俳諧しているのを見てからだった。 前へ |次へ |
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