《MUMEI》

 「只今戻りました。お嬢様」
ジゼルの屋敷
帰宅したクラウスは彼女の自室をすぐに訪ねていた
いつもならすぐ様、入れとの声がかかるのだが
今日に限ってそれが聞こえない事に首を傾げる
「お嬢様?」
改めてと叩き、やはり返答がない事を訝しみ
入る事を一言告げ戸を開いた
「クラ、ウス?」
中へ入ればジゼルはそこに居て
その姿があった事に安堵したのも束の間
「お嬢様。その腕、どうなさいました?」
血に塗れた手を唯眺めるばかりのジゼルに
クラウスは慌てながら駆け寄る
「……解らない。突然腕が痛くなって。その内に、血が流れだした」
見るに痛々しい出血
しかしジゼルは相も変わらず感情少なで
溜息をつきながら、クラウスは女中を呼びに部屋の外へ
「……これ位、大丈夫」
ソレをまるで引き留める様にジゼルがクラウスの服の裾を掴み
騒動になるからと引き留められた
「……お嬢様」
「それより、何かあったんじゃないの?」
帰りが遅かった事を指摘され
クラウスは事の説明にジゼルの前へ片膝を着く
端的に報告を済ませれば
「ケルベロスを従えていた人間が居た?どういう事?」
その報告にジゼルはさも不思議気だ
本来、ケルベロスは服従をよしとしない生き物で
常に己の意志のみで戸を守護していた存在
ヒトに付き従う事など稀にもない
「それは解りません。この森の何処かに潜んでいるのは確かなのでしょうが……」
「探して。何か、嫌な事が起こりそうな気がする」
「畏まりました。ですが、その前に手当てをさせて下さい」
ジゼルを横に抱きクラウスは自室へ
着くなりジゼルを寝台へと座らせ、棚から晒しと薬草を取って出した
手早く手当を済ませてやれば
その身をベッドへと横たえ、少し眠る様ゆるり言って聞かせる
「……またすぐに出掛けるの?」
「いえ。何か異常がないか、屋敷内を見てくるだけです」
すぐに戻る、とクラウスは室外へ
出てみればすっかり陽が傾き始めていて
橙に染まっていく様を眺めながら何気なく中庭へと脚を運ぶ
「よ、クラウス。相変わらずシケた面してんな、お前」
咲いて乱れるジゼルの花を、立ち尽くし眺めるばかりのクラウスの背後
頭上から突然の声が聞こえ
そちらへと向き直ってみれば其処にあった人影から何かが放って寄越された
赤く熟した林檎の実
受け取ると同時、投げた本人もクラウスの前へと降りてくる
「いきなり何だ?アルベルト」
呆れた様な表情で相手を見るクラウス
ジゼルと接する時とは違い、その口調はやはりぞんざいなソレで
屋敷専属の庭師・アルベルトへと向いて直った
「……お前、相変わらずの二重人格だな。そこまで変わるといっそ清々しいぞ」
「それは何よりだ」
渡された林檎を齧りながら更にぞんざいになっていき
だが昔馴染みであるアルベルトは気に掛ける事もなく
唐突にクラウスのクロスタイを引いた
「で?テメェはまた何を一人考えこんでる?」
探りを入れる様に顔を間近に覗きこまれ
隠し事があまり得意ではないクラウスは苦笑を浮かべながら事の説明を始める
人の世に咲くジゼル、そしてケルベロスに謎の男
難しく考え込むには充分だろうと笑って向ければ、アルベルトもそれに同意していた
「けどな、クラウス」
「何だ?」
「一人悩むのも結構だが、そう思いつめんなよ。お前唯でさえ気苦労多そうなのに、これ以上だと早くに禿げるぞ」
前髪を軽く掴み上げ揶揄うアルベルト
どうやら気遣ってくれているらしく
だがそう言う訳にもいかず、やはり考えこんでしまう
その様子にアルベルトの溜息が聞こえ
「……そんなに気に掛るなら、大殿の書斎にでも行ってみたらどうだ?」
「先代の書斎、……そうか」
その提案に暫く考え、そして頷いた
アルベルトへ短く礼を言って向けると踵を返して
足早に目的地にと定めた書斎へ
中へと入れば其処は本の林
クラウスの部屋同様に書物が散乱し
そして更には、山積みされた本がいくつも群れを成し、脚を踏み入れる処すら見つから無かった
崩れてきそうなそれらに、だが躊躇することなくクラウスは本を掻き分け中へ
「……相変わらずだな」
見慣れた散らかり方をしている其処に苦笑を浮かべていると

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