《MUMEI》
冒険気分
昼。
箒を持って二階の掃除をしている仁美。205号室から屈強な田中が出てきた。
短パン一枚。逞しい肉体にドキッとする。
「大家さん」
「はい」
「ちょっと手貸してもらえます?」
「手?」
田中が部屋に入る。仁美は恐る恐る205号室の入口まで行った。
「地震対策なんすけど、タンスの下にこれかましたいんですよね」
タンスの下のところにダンボールの切れ端がある。言っている意味はわかった。
ただ男一人暮らしの部屋に入らないのは、女として常識だ。
しかし田中は、両手でタンスを持ち上げる格好をしながら、仁美を見た。
「俺が持ち上げてる間にこれかましてもらえますか?」
確かに力持ちでも一人ではできない作業だ。仁美は迷った。田中に打算はないだろうが、自分も薄着。田中は裸。
「どうしました?」
「あ、はい」
仁美は箒を壁に立てかけると、部屋に入り、小さな玄関でスリッパを脱いだ。
裸足になると、嫌でもしなやかな脚が強調される。もちろん戸は開けたままだ。
「いいすか?」
仁美は両膝をついた。
「どうぞ」
田中がタンスを持ち上げた。仁美は素早くダンボールの切れ端をかます。これで地震対策になるとは思わないが、ぐらぐらしなくなった。
「このアパートの震度3って4なんすよね」
悪口でも冗談でもないらしい。仁美は苦笑した。
「大家さん、ありがとうございます」
「いえ」
「助かりました」
「いえいえ」仁美は笑顔で首を軽く振った。
「ふう」
仁美は部屋を出ると、大きく息を吐いた。考え過ぎだった。箒を持って掃除の続きをする。
自意識過剰とは思わなかった。これくらいの警戒心は普通だ。でも断れば冷たいと誤解されてしまう。それに、大家をいきなり畳に押し倒したりしたら、部屋を出なければならない。
田中のような分別のついた大人が、そんなことをするはずはないと踏んだ。
でも裸はやはり怖い。常識に欠けている。あれこれ考えを巡らせる自分に、仁美は笑みがこぼれた。
裸足で男性の部屋に入る。これはなかなか冒険気分がくすぐられた。仁美はやみつきにならないように、気を引き締めた。

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