《MUMEI》

 「……ちゃん、愁ちゃん」
名前を呼ぶ穏やかな声に、ゆっくりと眼が覚めていった
視界もはっきりとし、相手の顔が見え
久しぶりに見た、見たくもない夢から覚め、胸をなでおろす
「大丈夫?愁ちゃん。すごい汗だよ?」
「……野衣。お前、学校は?」
「今日土曜日だから休みだよ」
「そか。朝飯、食ったか?」
「まだだよ」
「俺作ろうか?」
「いいよ、私作る。待ってて」
そう言った彼女の背を台所へと見送った後、寒いはずはないのに何故か寒気を感じる
額からは冷や汗が流れて落ち、それをシャツの袖で拭った
「愁ちゃん、今日は仕事遅いの?」
料理をする彼女の背がそう問うてくる
広瀬は暫くの無言の後に否を唱え
早く帰るとだけ返した
今日はどうしてか外に居たくない、他人の視線を感じていたくなかったから
「いいか?誰が来ても絶対戸あけるんじゃねぇぞ。俺が返るまで絶対だ」
「解ってる。絶対開けない」
その言葉に広瀬は表情を和らげ漸くベッドから降り台所へ
朝食の匂いが室内を包み始めていた
「卵は一つ?二つ?」
「一つ。黄身は堅めな」
「了解です。そうだ愁ちゃん、新聞まだ取ってきてないの。取ってきてくれないかな?」
お願い、と可愛らしいソレに
広瀬はわかったと一言返し、そして
「ついでに、外のひまわり、水やっとくぞ」
ソレを続けて言ってやりながら素足のまま出た庭先
そこ一面に咲き乱れる向日葵
その林立する様はまるで、人目を拒んでいる様にも見えた
「奇麗に、咲いたな」
咲いたばかりの花弁へと指先を触れさせた
その直後
人の気配を背後に感じ、ゆっくりと振り返った
「お早う御座います。広瀬 愁一さん」
耳触りでしかないその声に、あからさまに嫌悪の表情をして向けながら
「またテメェか。よく飽きねぇもんだな、毎日毎日」
嫌味を分かりやすく向けてやる
だが相手はさして気分を害した風でもなく
「それが、私の仕事ですから。しかし、いい天気ですね。向日葵も綺麗に咲いてる」
優しげで、だが冷酷な笑みが向けられた
宮口 広重
ソレが、この男の名前
野衣の母親の、実の弟らしく
いわく弁護士との事だったが、実際はどうかわかったものではない
胡散臭さばかりが表に現れるこの男に、警戒するなと言う方が到底難しい
「処で、広瀬さん。この間お話しした件、考えていただけましたか」
不躾に始まる会話
たがその全てを聞きたいなどと思う筈もなく
「断る」
一言で話を打ち切っていた
「……拒む、おつもりですか?お父様は、待っておいでですよ」
「……待ってんのは金、だろうが。こっちはな、生活してくのだってやっとなんだぞ。」
冗談じゃない、とついぼやけば
相手からわざとらしい溜息が
「……言う事はお聞きになった方がよろしいかと思いますが」
「……興味ねぇんだよ。今更アイツらが何やってようが」
「……本当に、素直に従った方がいいと思いますが。何せ貴方方はいつ殺されてもおかしくない立場の方々なんですから」
「……脅してるつもりか?」
「いえ。これは飽く迄も忠告として受け取って戴きたい。」
「忠告、ね」
「彼女の母親は彼女の事など必要ないと思っている。疎み、縦しんば殺そうとすら考えているでしょう」
「……何で、あの女にそこまでされにゃならん?」
確かにあの女は修一の母親が死に絶えたその場に居合わせた
だがそれだけで
広瀬はその事に関して警察に言ったこともなければこれからも言うつもりなど無い
あの女に、そして父親に関わったりしなければ二人のセカイは平和なのだから
ただそれだけ守れればいいだけだというのに
「……助けて、あげましょうか?」
耳元での声
思いがけないおの言葉に、愁一の眼が驚きに僅か見開く
「……確かに私は姉さんに正式に依頼を受けています。ですが、ひとつの仕事を唯黙々とこなしていくというのは私の趣味ではないんですよ」
「……何が、目的だ?」
余りの胡散臭さに宮口を睨みつけてやれば
その口元が、嫌味に歪む

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