《MUMEI》
羊の来訪
夕方。
阿部が帰ってきた。ちょうど二階の掃除が終わったところだ。仁美は掃除道具をしまい、階段を降りようとしたが、阿部が上がってきた。
「こんばんは」
「おおお、どこのレディかと思ったら、仁美さんではないですか」
「仁美さんはやめましょう」彼女は赤面しながら笑った。
「じゃあ、仁美姫」
「ダメです」
「仁美嬢」
「返事しませんよ。大家さんでいいです」
阿部は大げさにも泣き顔になった。
「大家さんなんて呼び方、夢もロマンもないではないか」
「なくていいです」
「冷たいね仁美チャンは」
「阿部さん」仁美は笑顔で睨む。
「わかったよ仁美」
ダメだ、とばかり首を左右に振ると、仁美は諦めて下へ降りた。今度は加刃哲朗が玄関にいた。
「あ、こんばんは」
「こんばんは。どこのお姫様かと思ったら、大家さんか」
「よく言いますよ」
「大家さん、早く離婚してくださいよ」
「アハハ」
乗せられている。浮かれ過ぎと思い、部屋に戻ると仁美は、無理に顔を引き締めた。
モテたい願望は振りきれず、どこかで女の色香を出している自分がいる。
薄着。笑顔。しぐさ。独身時代にできなかった、大胆で、挑発的な自分が、仁美は嫌いではなかった。
そんなとき、一人の若い男がアパートに入ってきた。
「すいません」
「はい」
仁美は、十代かと思う若い男の来訪に、期待のこもった表情を浮かべた。
「何でしょう?」
「あの、部屋空いてますか?」
「空いてます空いてます」仁美は笑顔で答えた。
男は、髪はやや長く、体もスマート。礼儀正しく優しい好青年という感じだ。
学生だろうか。清潔感もあるし、仁美は好感を持った。
「部屋、見てみますか?」
「はい」
仁美は男を202号室に案内した。二人で部屋に入る。戸は開けたままだが、やや緊張する。
男は六畳ひと間を見渡すと、即決した。
「ぜひ、ここに住みたいんですけど」
初めての年下の住人だ。仁美は明るい笑顔を見せた。
「お名前は?」
「星童俊介です」
「ほしどう、しゅんすけさん。珍しいお名前ですね」
「はあ」
照れているのか、目をあまり合わせず、うつむき加減で話す。仁美は、うぶな少年を見るように、ほくそ笑んだ。
「未成年ですか?」
「19歳です」
「若いのに。お風呂はないし、共同トイレですけど大丈夫?」
「全然。よろしくお願いします」
それから仁美は、簡単なルールや事務的なことを説明した。
仁美が前を歩き、二人は部屋を出る。照れる少年に仁美は満足の笑み。
(あたしってそんなに眩しいかしらん)
浮かれているから、後ろから仁美のお尻や脚を見ている狼の目には、当然気づいていなかった。

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