《MUMEI》
ゆすり
「出張?」
「ああ」真司は笑った。
突然の出張。夫は来週大阪へ一週間行ってくる。仕事なら仕方ない。アパートには狼がいるのに。でも余計な心配はかけまいと、仁美は何も言わなかった。
昼間。仁美は二階の掃除をしていた。ショートパンツはやめてジーパンを穿いている。
箒をしまい、雑巾を出そうとすると、202号室の戸が開き、俊介が顔を出した。
「あ、こんにちは」仁美は真顔で挨拶する。
「ちょっといいかな」
俊介の顔が怖い。怒った調子の声だ。仁美はドキッとした。
「何ですか?」
「いいから」
強引だ。でも逆らえない。仁美は怖々部屋に入った。
「閉めて」
仁美は仕方なく戸を閉める。
「仁美。俺の部屋に入った?」
「まさか。入ってませんよ」
「じゃあ、何でベッドの下に盗聴器があるの?」
「盗聴器?」仁美は顔をしかめた。
「とぼける演技がヘタだね」
誤解だ。仁美は慌てた。
「俊介さん。あたし、そんなことしませんよ。信じてください」
「何で敬語なの?」
「いえ、別に」
仁美がうつむく。俊介は笑顔で言った。
「タメ口のほうがいい」
なぜそんなこと指図されなければならないのか。仁美は一瞬頭に来たが、我慢した。
「俊介君。信じて。あたし盗聴器なんか知らないから」
「じゃあ、見てみて、ベッドの下。盗聴器っぽいのあるから」
仁美は緊張した。ベッドの下を覗くということは、俊介の前で仰向けになるということだ。
危険だが誤解を解かないといけない。仁美は仰向けになり、ベッドの下を覗いた。
「どれ、何もないけど…キャア」
俊介が仁美のおなかをまたいで乗っかる。
「どいて」
ベッドが邪魔で起き上がれない。
「どいて」
俊介はどいた。仁美はベッドから出ると、真っ赤な顔で言った。
「からかってるの。今みたいなことはやめて」
「わかった。ゴメン」
(悔しい。でも今は忍の一字だ)
仁美は部屋に戻ると、頭をかかえた。警察に相談するべきか。夫に相談するべきか。一人で解決するべきか。
迷った。
せっかくの楽しい日々が、一人の男のせいで暗黒だ。真っ暗闇だ。
見抜けなかった。ウブな少年にしか見えなかった。
仁美は、一人で泣いた。

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