《MUMEI》
手負いの狼
それは翌朝実行された。真司には作戦も何もない。ストーカーはひ弱な人間と決めてかかっている真司にとって、仁美の心配など重要視していなかった。
俊介がゴミ収集所にゴミ袋を置き、アパートへ戻ろうとすると、真司が現れた。不敵な笑みを浮かべて迫って来る。
俊介はうつむき加減に「おはようございます」と言って通り過ぎようとしたが。
カウンターの右ストレート顔面!
俊介はすっ倒れた。唇が切れて出血する。衝撃で立ち上がれない。
真司は上から見下ろすと、胸に茶封筒を投げた。
「金はやる。この街から出てけ。舐めんな」
吐き捨てると、真司は背を向けて、意気揚々とアパートに戻った。
俊介は上体を起こし、地面にあぐらをかいてすわる。
「いっつ…」
顔を押さえた。顔面が骨折するかと思うほど痛かった。この痛みは怒りを増幅させる。
俊介は茶封筒の中身を見た。1万円札が20枚。
「けっ。これっぽっちかよ」
目が怪しく光る。こんな目に遭わされたら、何をしても構わないという危険な目を、アパートのほうへ向けた。
そのあと、便利屋が来て二階に上がって行くので、仁美は不審に思った。
「あなた、会社は?」
「これ済んだら行くよ」
「これって?」
便利屋の二人が、二階から階段で古いベッドを下ろしている。仁美はハッとした。自分が縛られたベッドだ。
仁美は恐る恐る二階に上がった。やはり202号室だ。もう大半の家具が運び込まれている。
「真司さん、どういうこと?」
「今朝、いきなりお世話になりましたと出ていったよ」
「まさか」仁美は恐怖で硬直する。
「俺にあんなところ見られて、居ずらくなったんだろ」
夫の自慢げな、爽やかな笑顔。仁美は心配で仕方なかった。力ずくで追い出したのではないのか。
その不安はすぐに的中した。
翌日。一通の手紙が仁美のもとへ届いた。中を開けて見ると、びんせんと一枚のプリント。
「ハッ…」
息を呑んだ。自分の全裸写真だ。一気に心臓が波打つ。
仁美はハサミを持ってきて切り刻んだ。
そして手紙を読む。
『ダンナに暴力をふるわせるとは、卑怯な手使うね。絶対に許さないよ』
力が抜けた。何てことをしてくれたのか。仁美は夫の単純さに愕然となった。
中途半端に傷つけて森へ返した手負いの獣は、復讐心の塊となり、非常に危険なことくらい、中学校の授業で習った気がする。
仁美は手紙の続きを読んだ。
『でも仁美が一人で指定の場所に来てくれたら、その勇気に免じて許してあげる。写真も消す』
そして日時と場所が書いてあった。
仁美は迷った。危険だろうか。
(でも行くしかない)
殺されはしないだろう。仁美は決着を急いだ。こんなことで悩むのはもう嫌だった。前の明るい生活を取り戻すために、体を張る。
「スリルは、嫌いじゃない」
強がって呟いてみる。込み上げる恐怖。仁美はおなかに手を当てた。

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