《MUMEI》
・・・・
 手摺りに手を滑らせ、下りてきたのは一人の少女だった。エプロンを身に付けたセミロングの少女で、手にはお玉を握っていた。日常を絵に描き、くり抜いた様な女の子にはそれはあまりに奇々怪々な光景だった。階段を下りている途中、見えたのは本来見えないはずの壁の向こう側である外の景色に、その上に積み重なった無残に崩れた壁、カウンターでは早朝姿を消したファースが居て、仲良くなったおばさんのあごを掴んで対峙していた。
 此処に漂っているのは穏やかな空気ではない、殺伐とした危険な空気。
少女の驚きに固まった顔を見て、ファースは掴んでいた女を乱暴に放り、少女のほうへ向きなおす。腰を抜かし床に倒れ、痛みに顔を歪めるおばさんを見て大人しそうな少女の眉が上がった。
 「ど、どうしたのファースくん、そんなことしちゃダメだよ!」
 年配の女性をぞんざいに扱うファースに戸惑い声を出し、一歩でる。聞きなれた声に答えることなく、青年はただ暗い目でクレアを見つめ続ける。そのいつもとは違う雰囲気にクレアは背筋が寒くなり、それ以上前に進めなくなってしまった。少女は身を強張らせる。二日前のあの時とはまるで違う、本当の恐怖。
 「お前に人質になってもらうぞ」
 頭一つ分高い青年から声が振りかけられ、身体が敏感に反応し跳ねる。見上げた青年の瞳はやはり冷たく、どこまでも深かった。底の知れない恐ろしさが、彼女に選択の余地を与えない。

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