《MUMEI》

不意に、道三が呟いた言葉を思い出す。

『…時を渡ったか』

まさか、と思った。
濃は『鬼』の子。『鬼』はひとつの時に縛られず、渡りゆく流民。

風のように現れ、そして人知れず消えていく…。

脳裏に、あの乙女の姿が浮かんだ。

彼女も、何の前触れもなく各務野の前に現れ、そして闇に溶けるように消えた。

…あの乙女は、もしや…。

各務野は濃の顔を見つめた。濃は豊太丸とまだ、なにやら言い合っているようで、各務野の視線に気づくことは無かった。

「そなたの名は、濃であろう?他の名など、必要ないではないか」

「でも、吉法師がくれたのです」

「そんなもの、いらん。どうせ夢なのだから」

「夢だけれど、夢ではないのです」

無邪気な子供達の口喧嘩に耳を傾けながら、各務野は言いようのない不安を覚えた。


…あの乙女は、
先の世からやって来た、
濃ではないのだろうか?


真剣に考え込む傍らで、子供達はついに取っ組み合いを始めたので、各務野は慌てて仲裁に入ったのだった。

…考えすぎ、か。

喚き散らす濃の姿を見遣り、各務野はそう思い込むことにした。



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